2004年03月19日
●高知 801(特急 南風6号)1004 児島
2日目の朝、通勤・通学の人たちが眠そうにしている中、高知駅でアンパンマン列車を向かえる。アンパンマンのペイントがしてある列車で、最近では徳島にも乗り入れるようになり、四国中で走るようになった。
このアンパンマン列車の中で、アンパンマン列車スタンプを押す。あとで分かったのだが、ちょうどアンパンマン スタンプラリー期間中だったようで、いたるところでアンパンマン関係のスタンプがあった。ただその代わりに、昔からあるスタンプはほとんど撤廃されてしまった模様。結局、今回の旅行中に見つけたスタンプは、アンパンマン関係が8種、わたしの旅スタンプが2種、それ以外が2種だった。アンパンマン強し。
閑話休題。このアンパンマン列車で、この旅初のグリーン車にして、人生初のグリーン車に乗車。JR四国のグリーンは他と比べて大したこと無いらしいんだけど、それでも随分快適である。
そのまま瀬戸大橋を渡って四国を抜け出し、児島まで行く。
●児島 1027(快速マリンライナー19号)1042 坂出
切符が使えるのは児島までなので、ここで引き返す。わずか15分だけど、新型マリンライナーのグリーン車に乗車。
2階席だったけど、シートピッチは狭く、天井も圧迫感があって、あんまりグリーンという感じではないかなぁ。それでもグリーン席は満席だった。
新型は変な顔だ。
●坂出 1048-1053 宇多津 1105(しおかぜ7号)1309 松山
特急への接続のため宇多津まで移動し、そこからJR四国のドル箱、特急しおかぜ。グリーン席もほぼ埋まっていた。小市民なワタシには、グリーンに乗ってる人が全員ブルジョアに見えてしまう。
●松山 1318(特急 宇和海11号)1350 伊予大洲
松山に着いたが特に何をする時間もなく、今度は宇和島行きの特急で南下。松山以西の予讃線には、山回りで内子線経由の新線と、海回りの旧線があり、特急は全て新線を通る。そのため、乗換駅の伊予大洲まで行って、そこからの普通列車で海回りの旧線へ。
●伊予大洲 1402-1452 下灘
海回りの途中には、青春18きっぷのポスターに過去3度登場という、有名な下灘駅がある。ここで下車。
天気も良かったため、海がかなりキレイに見えた。それに加えて、駅の雰囲気が良い。柵に近所の住民が洗濯物を干しているのなんて、生活感がありすぎ。
他にも写真を撮ってる人がいたけど、列車が去った後にそそくさと自動車で帰っていった。なんと合理的な。
ワタシはというと、次の列車が来るまで1時間半、ベンチに座って海を見ていた。非合理のカタマリである。
●下灘 1620-1700 松山
再び松山に到着。日が暮れる前に中央郵便局前のポストの上の像を捕捉し、路面電車で道後温泉へ。行ってみると、温泉で のぼせた人がいて騒然となってたが、温泉は温泉だった。
この日は、これにて終了。
2004年03月18日
JR四国の企画切符、「バースデイきっぷ」を使って、四国を一周してきた。この切符は、誕生月の連続三日間、JR四国+土佐くろしお鉄道(三セク)が乗り降り自由、しかも特急にも乗れて、グリーン席も指定席も取り放題。それでいて10000円ポッキリという、破格の切符。途中に乗った特急内でもバンバン宣伝しており、JR四国イチ押しの模様である。
というわけで、一日目。徳島から室戸岬を経由して、高知まで。
●徳島 824-838 池谷 840-856 鳴門 901-941 徳島
旅の第一ランナーは、高徳線で池谷まで。池谷で鳴門線に乗り換えて、鳴門に向かう。
この時に乗った車両は3両編成だったのだが、途中駅ではホームの長さが足りないために、つねに3両目は何も無いところで停車する。しかも3両目では、アナウンスも流してくれない。つまり、何のアナウンスも無しに、何も無いところに止まる。
終点の鳴門駅ではホームの長さは足りてるのに、3両目ではやはりアナウンスも無いし、ドアも開かない。よく分からん仕様だなぁ。本当は3両目なんて無かったのかもしれない。
そんな訳で、わずか16分で鳴門線完乗。鳴門駅では、5分の待ち時間に急いで下車してみたが、駅スタンプは無し。そのまま来た列車で折り返す。帰りもやはり、3両目の扱いがよく分からん。
写真は鳴門駅のホームの花壇。渦潮っぽいけど、すごく地味だ。地味すぎる。
●徳島 945(特急 剣山4号)1117 海部
この旅初の特急で、牟岐線完乗。といっても特急なのは牟岐までで、牟岐-海部間はそのまま普通列車に変身する。途中から、なぜかヘッドマークが「むろと」に変わっていた。ちなみに、牟岐線の特急は日本一遅いとのこと……。
終点・海部駅では、かの有名な「純粋トンネル」を眺める。これについては、また後ほど。
●海部 1123(阿佐海岸鉄道)1134 甲浦
海部からは、三セクの阿佐海岸鉄道。ここだけは切符が適用されないので、別料金になる。
この後に乗る土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線とセットで、阿佐線の部分開業区間である。といっても全通は幻。ごめん・なはり線は順調らしいが、阿佐海岸鉄道は大赤字らしい。
いちおう終点の甲浦駅では、まだまだ伸ばせるぞ、という感じで高架がぶった切られていた。
甲浦駅では、売店のおばちゃんが待合所にいた全員にお茶を入れてくれた。雨が降ってて寒かったので、うれしいお茶。
おまけに駅スタンプもあった。新たにスタンプノートを買ったので、記念すべきその1ページ目が、阿佐海岸鉄道 甲浦駅となった。
●甲浦 1149(路線バス)1336 奈半利駅
甲浦駅前のバス停から、延々と路線バス。この辺は去年の夏に自動車で走ったから、道が分かっておもしろい。室戸岬をグルっと周り、海岸沿いを進んでいく。ここもリアス式海岸。
2時間ほどで、ようやく奈半利に到着。しかし奈半利で降りようとするも、運転手さんに止められる。奈半利の次のバス停が、奈半利駅の前だそうだ。知らない土地の路線バスは難しい。降りようとしたけど乗り直し、すぐそこの次のバス停まで連れて行ってもらう。
で、そこが土佐くろしお鉄道の奈半利駅。奈半利駅のマスコット、「なは りこちゃん」がお出迎え。
●奈半利 1404-1500 後免
土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線。一昨年の夏に開業した新しい路線で、全駅にそれぞれ、やなせたかし氏デザインのキャラクタがいるのが特徴(参考)。しかも全駅前にキャラクタの像があるのは凄い。
こういうキャラクタがいると、全駅で降りて写真を撮りたくなるのだが、さすがにそれは難しい。そんな要望に答えるかのように、奈半利駅の窓口で全駅のキャラクタスタンプを押した紙がもらえた。これならわざわざ全駅にいかなくてもいい!……けど何か違う気がする。
そんなわけで くろしお鉄道に乗り、車掌さんが謝ってくれることで有名な「ごめん」に到着。ここでJR線に連絡。
ちなみにJR四国には、「おおぼけ(土讃線)」という駅があり、「はげ(予土線)」という駅がある。さんざん人を貶しておいて!と思ったら、「ごめん(土讃線)」でちゃんと謝ってくれる。律儀である。
ホームには、ごめん駅のマスコット、ごめん えきお君の像と、やなせたかし氏の詩があった。
●後免 1509(特急 南風11号)1516 高知
この日の最後は、特急に一駅だけ乗り、高知に到着。
●高知
キオスクで路面電車の一日乗車券(500円)を購入し、とりあえず はりまや橋。
言わずと知れた、日本三大ガッカリの一つ。すでにガッカリ名所としての方が有名かもしれない。何のおもしろみも無い。これならまだ、ペギー葉山記念植樹の方がおもしろい(いや、そんなことはないか……)。あんまりペギー葉山については知らない。
そして、龍馬郵便局前でポストの上の像(こちら)を捕捉。
なんにでも龍馬を付けたがる高知県。高知龍馬空港は有名だが、龍馬郵便局はマイナーらしい。高知出身の知り合いも知らなかった。
ポストの上以外にも、入口前にデッカイ像が。主張が激しい。
その後は、バスで桂浜まで。こんな道をバスが走るのか!って感じで衝撃を受けた。
本家の龍馬像は、郵便局前の像より断然かっこいい。写真を比べてみると、やはり郵便局前のは単なるパクリっぽい感じだなあ。
そんな感じで、一日目は終了。
2004年03月06日
この日はひたすら紀勢本線。松阪から和歌山まで、紀伊半島を一日かけてグルっとまわる。
途中、車内で乗車券の確認があったのだが、多気駅からワタシの前に座っていたイチロー風の兄ちゃんも18きっぷ だったようだ。まさかこの時には、この人と12時間後の和歌山まで全く同じ乗り換えをするとは思いもよらなかったのだが……。
●松阪 842-852 多気
多気駅では、ハイカーっぽい人が大勢いた。熊野古道でも歩きに行くんだろうけど、みんな先に来た特急には乗らずに、普通列車に。出遅れたため、ボックスシートは全部取られてしまった。仕方なく、これから延々とロングシートの旅が始まる。
●多気 932-1047 紀伊長島 1115-1227 熊野市
紀勢本線、距離も長いが、停車時間が恐ろしく長い。紀伊長島で28分、熊野市では41分も停車した。すごいのは、熊野市駅の次の駅で降りた高校生。彼は熊野市駅の次の駅に行くために、熊野市駅で41分も待っていたのだ。駅間は2キロなので、熊野市で降りて、そこから歩いた方が早かったのではないだろうか。
さて熊野市で長時間停車なので、一度下車して熊野灘の方へ向かう。本当は1本列車をずらして、鬼ヶ城という波の侵食で出来た奇岩を見に行こうかと思っていたのだが、駅で時刻表を改めて見てみると、運転期間注意の文字が。乗ろうと思っていた便は、ちょうどこの日は運休だった。危ない危ない。仕方が無いので、停車時間中に行って帰ってこられる、獅子岩というのを見てきた。
熊野灘はかなりの絶景。この辺は三陸の方と同じく、リアス式海岸のようだ。またゆっくり来たいが、いかんせん遠いので、だいぶ先の話になりそう。
上の写真の1枚目、堤防の間から海が見える景色はかなり良い。そしてなぜか信号が縦・横に2個ついている。
●熊野市 1308-1336 新宮
新宮は、JR東海と西日本の境目。そんなわけか、かなり接続が悪く、嫌でも新宮で下車しなければならない。
とりあえずその辺をぶらぶらしながら、「浮島の森」へ。浮島の森は文字通り沼に浮いている島で、寒暖の植物が混成しているという珍しい場所だそうだ。100円払って入場。
島は浮いているので、確かに少し揺れる。しかし植物のことはよく分からんので、ワタシにはただの森にしか見えず、5分くらいで島を回って出てきた。いちおう天然記念物らしい。
新宮駅では、名物駅弁のさんま鮨を購入。これ以降は、さんま鮨をちまちまと食べながら移動する。
●新宮 1429-1532 串本
串本は、本州最南端の駅。駅のいたるところに「本州最南端」と書いてあり、あまつさえ駅前には「本州最南端のおみやげ」まである。
いちおう潮岬の最寄駅なのだが岬までは結構遠くて、次の電車までに行って帰ってこれそうもないので、今回は見送り。適当に海岸まで歩いてみたが、雨がポツポツ降り出し、かなり冷えてきたため、駅舎に引き返す。
しかしこの駅舎が、無茶苦茶寒い。寒さに震えながら1時間ほど次の電車を待つ。
ところで、降りた駅に「駅スタンプ」があれば必ず押すようにしているのだが、ここの駅スタンプはすごかった。普通は何か図柄があるもんだが、ここのはでっかく「JR」とだけ書かれてある。もっとマシなのを考えられなかったのだろうか。
●串本 1640-1810 紀伊田辺 1814-1858 御坊 1900-2006 和歌山
これより後は乗り換えもスムーズなので、ひたすら帰る。
隣には、T-1グランプリの参加者と思われる2人組がいた。チェックポイントの新宮まで行って、そのまま引き返してきているようだ。
このT-1グランプリ、駅名看板と一緒に写真を撮る、という条件が嫌だったのだが、やってる人を見てたらおもしろそうなんで、参加してみようかな……。
●そんなわけで、はるばる和歌山に到着。
予定では、ここから紀勢本線の最後の区間、和歌山-和歌山市間に乗る予定だったのだが、乗り換えが間に合わず敢え無く終了。
和歌山駅到着前の車内アナウンスで、「和歌山市行きは1番ホームからです、お急ぎください」と言っていたので、1番のりば へ走ったのだが、1番のりば まで行って気が付いた。アナウンスで言ってたのは、「イチ」じゃなくて「ハチ」だ……。完全に笑い話である。
紛らわしいので、1は「ひと」と発音して欲しい。
次の電車は1時間後だし、それに乗っても次のフェリーには間に合わないため、とりあえず港に向かって歩き始める。地図をPDAに入れていたので、急げば徒歩の方が早いかもしれない……と思ったのが運の尽き。歩けど歩けど港は見えず、結局1時間を過ぎた辺りでようやく港が見え始めた。当然ながら、乗ろうと思っていた便には間に合わない。途中で雨も降ってきたし、これなら駅で1時間待ってた方がマシだった、無念。
結局、寒い寒い港でさらに1時間ほど待って、その日の最終便に乗船、帰路についた。
2004年03月05日
8時過ぎに知り合い宅をチェックアウト。休みなのに早朝に起こしてしまって、申し訳ない。この日の目的はJR線乗り潰しの一環で、メインは三重県の路線。
阪和線の最寄駅から、阪和線、大阪環状線の通勤・通学ラッシュにもまれ、ひとまず京橋まで。
●京橋 833-914 同志社前 931-943 木津 957-1003 加茂 1006-1134 亀山
予定より早く京橋に着いたため、片町線の快速 木津行きを待たずに、先に途中まで行く同志社前行きに乗車。
同志社前駅の駅舎は、車体を改造したものだった。なかなか趣深い……と思ってたんだけど、この形態の駅舎は途中で結構見かけた。そんなに珍しいものでもないのか。
その後、関西本線へ乗り継いで亀山まで。そういえば前にこの区間に乗ったとき、大阪方面からJスルーカードで改札を通り、山奥の無人駅で降りようとしてた人がいた。5分以上列車は止まってしまったのだが、あの時はどういう対応をしていたのか、少し気になる今日この頃。
●亀山 1150-1212 津
日本一短い名前の駅「津」に到着。これを越えるには、0文字の駅名を考えなければならない。
駅名看板ももちろん「つ」としか書かれてなくて、変な感じ。解像度を低くしていくと、漢字の「津」の部分が潰れて"?"に見えそうだ。
津駅の隣は、かの阿漕である。阿漕駅は非常に阿漕な商売をしている(ウソ)。
列車を何本か見送り、津駅周辺でウロウロする。地下を通ったり、陸橋を渡ったりしながら、線路を挟んで東西にあるJRと近鉄の駅間を行ったり来たりする。この意味のない行動でかなり疲れた。
●津 1318-1332 松阪
快速みえ に乗って松阪まで移動。今まで松阪は「まつざか」だと思ってたのだが、正しくは「まつさか」なんですなあ。これは間違ってる人が多いのでは。当然だけど地元の人は「まつさか」と発音していた。
●松阪 1333-1448 伊勢奥津
松阪では1分乗り換えで、名松線の伊勢奥津行きに乗車する。2日目のメインのメインは名松線。
ちょうど良い時間だったのか、買い物や病院帰りと思われる爺さま、婆さまに囲まれる。同じボックスシートに座っていた お爺ちゃんは、ジャンパのチャックが閉まらないらしく、おかしいなあ、おかしいなあ、と言いながら10分くらい同じ行動を繰り替えしていた。
さて1時間ちょっとで終点、伊勢奥津に到着。おそらく伊勢奥津駅周辺には何も無く、途中の駅でほとんどの人が下車するのだろう、と思っていたのだが、なんと逆にほとんどの人は終点まで乗り通した。伊勢奥津駅前には村営バスが2台止まっており、列車を降りた人たちはサザエさんのエンディングよろしく、バスに吸い込まれていく。そして誰もいなくなった……と思ったら高校生が一人だけいた。その高校生にも、後で車の迎えが来ていたようだ。つまり、この辺の人たちはもっと山奥の方に住んでいると……。
後で話をした運転士さんによると、「景色が良いと言って列車に乗りに来る人はいるけど、実際に住むとなるとねえ……。ここで降りる人は、ほとんどが老人の一人暮らしで、まだここからバスで随分行くみたいだよ」とのこと。うーん、これは大変だ。
さて駅舎には、おなじみ駅ノートがあった。現在No.22だったが、ノートはすでにNo.25の分まで用意されてある。しかしそのノートというのが、よくある「子どもが初めの数ページだけ使って放置し、後かなりのページが残っているのに、もったいないなぁ」という風のノート。つまり初めの数ページには子どもの落書きが残っている。恐らくこの辺の人が補充してるんだろうけど、さすがに初めの数ページは破ってから持ってきたほうが良いのではないか。まあ、おもしろいからいいんだけど。
適当に周辺を歩いたり、駅ノートを読んでいるうちに帰りの時間。来た時に乗った列車が待っていてくれる。帰りの乗客はワタシ一人。ここでさっきの運転士さんが話し掛けてくれて、いろいろ話を聞いたわけである。
名松線は、腕木式信号と通票閉塞が健在、ということで有名だったらしいのだが、腕木式信号は今年1月に廃止になったそうだ(記事)。
運転士さんは、ワタシが徳島から来たというと、「四国ならまだ通票とか腕木式信号が残ってるんじゃない?」と言ってきたが、さすがの四国にも、もうない(らしい)。依然として家城駅ではタブレット交換が行なわれていたが、腕木式信号機はホームに切り替えレバー跡地が残るのみ。
結局、松阪行きの列車に乗ってきたのは、片手で数えるほどしかいなかった。もちろん、「俺は片手で31まで数えられるぜえ」という話ではない。
●松阪 1635-1715 鳥羽 1743-1759 伊勢市 1851-1913 松阪
松阪に着いたあと、運転士さんに「次は伊勢神宮にでも行こうかと思う」という話をしていたら、「次の列車で伊勢市(伊勢神宮の最寄駅)まで行くよ、乗って行きなよ」という。その後 運転士さんは運転台へと戻っていったが、その伊勢市行きより先に快速みえ が到着したため、そっちに浮気してしまった。ごめんなさい、運転士さん。
その快速みえ は鳥羽行き。伊勢神宮に行く前に快速で参宮線を乗り潰してしまおうと考えたわけ。でもこれが失敗だった。鳥羽で折り返して伊勢市で下車、伊勢神宮(外宮)に向かうが、なんと閉まっていたのである。参拝時間が何時までだったのか分からないが、もしかしたら18時までだったのかもしれない。先に伊勢市で下車し、それから鳥羽に行けばよかったなぁと、後悔先立たずを地で行くかたちになってしまった。
●そんなわけで、この日は松阪で宿泊。晩御飯は、かの有名な松阪駅の「牛肉弁当」1260円。
2004年03月04日
●旅行の一日目は大阪。バスもそろそろ飽きてきたので、たまには船に乗ろうと、まず徳島から南海フェリーで和歌山へ。しかし、いきなり乗船場を間違えるという地元民らしからぬミスに見舞われる。
埋立地にフェリーターミナルがあるので、てっきりそっちから船に乗るものと思い込みチェックしてなかったのだが、行ってみたら窓口に一人いるだけで、客は一人もいない。聞くと、高速船が廃止になった以降、ターミナルから船便は出ていないそうだ。全く機能していない船着場。もったいないからバスが数本出ているみたいだが、それにしてももったいない。辺境なので、こんなところからバスに乗る人も稀であろう。
気を取り直して本当の船着場まで歩く。10分くらいかかったが、早めに行っていたおかげで間に合った。フェリーは、徳島港-和歌山港が2時間。バスと違ってゴロゴロできるので、楽である。和歌山港からは南海の特急サザンで、なんば まで。
●南海なんば で知り合いと待ち合わせており、ここで合流。昼は なんばパークス内にあるナムコのフードテーマパークで、讃岐うどんを食らう。各所で讃岐うどんを食べるのだが、まだ本場の讃岐うどんは食べたことがない……。
食後は、散歩。難波から日本橋を抜け、通天閣へ。久しぶりの通天閣。ここで、集めているタワー置物を購入した。ワタシの後ろに居た人はビリケンさんの置物を買っていたが、やはり置物はタワーに限る。1500円もしたが、以前に買った東京タワーの置物より一回りデカイのは、さすが大阪。
これはタワー模型を並べた写真だが、さすが二大タワーとだけあって、神戸ポートタワーの貧相さが目立つ。
閑話休題。その後はどこに行こうかと悩む。知り合いもワタシも、食にうるさくなければ、買い物にも興味がないので、それを抜きにすると、だいぶ見るところが限られてくる。
大阪で都市計画を勉強しているらしい知り合いに、大阪の都市の成り立ちを講義してもらいながら、とりあえず次は天保山方面へ。
●天保山でもフードテーマパーク、なにわ食いしんぼう横丁。梅田にも新たに餃子のフードテーマパークが出来たそうで、フードテーマパーク盛りですなぁ。
しかし、おやつ休憩出来るようなところではなかったため、結局隣のミスドで休憩。案外そういうものだ。
そして久しぶりに天保山登頂。以前の写真はここにあるのだが、3年ぶりに行ってみると少し変わっていた。下の写真は前と同じ場所なのだが、なんか「日本で一番低い山」のアピールが控えめになっているような……。
しかも、山頂より高い丘にあった「ザンネンデシタ」の看板が消えているではないか。看板自体はあるのだが、文字が消えている。これは非常にザンネンデシタ。
●まだ時間があったので、弁天町の交通科学博物館へ。個人的に、弁天町といえばラジオ大阪なのだが、今回ちゃんと存在を確認できた(当たり前だが)。ラジオ聞くならラジオ大阪、1314OBC。
さて交通科学博物館だけど、見るものが多くて意外と楽しめた。しかし閉館時間が17:30。時間が近づくと職員の人が掃除を始め、早く帰れムードになってきたため、最後のほうは見流して退散。またゆっくり行きたい。
●まだどこかへ行けそうだったため、四天王寺周辺を散歩。京都じゃない清水(しみず)寺まで行き、坂の上にある清水寺から大阪界隈を眺める。清水(きよみず)の舞台ではなく、清水(しみず)の舞台といったところか。
●晩ご飯は博多ラーメン。最後まで大阪らしさが全然ない。知り合い宅にお邪魔して就寝。
2004年02月16日
鉄道旅行の話。いろいろあって去年の春頃から突然 鉄道旅行に目覚め、それからいつの間にか「JR線全線乗り潰し」をやってます。乗り潰し自体が目的ではないんですが、細かいことは気にしない。昔のことは詳しく覚えてないので、カウントは2003年からということにしました。
こういうのは、個人的にルールを作るのがお決まりらしいので、いちおうマイルール……と言いたいところですが、特に無しということで。
この前2003年が終わったのは有名な話ですが、これを機に初年度分を詳しく集計してみましたところ、去年1年間の初乗車区間は2189.3キロ。可部線一部廃線以降のJR線全営業キロが19823.9キロらしいので、現在は完乗率11.0% 。
この調子だと軽く10年はかかりそうですね。タイムカンどころではない。まあ気長にいきましょう。
今春はとりあえず、JR四国を完乗予定。誕生日が3月なので、バースデイきっぷを良い時期に使えてお徳です。
四国内の路線を全線完乗しつつ、いかに下車時間を増やすか。これが多くのプログラマを悩ます、巡回トラベラーズ問題です(ウソ)。