2005年03月24日

坪尻駅・再訪問

以前,JR土讃線の坪尻駅を訪れた(→坪尻駅訪問)。
全国有数のスイッチバックの駅,坪尻駅。上り列車は日中9時間も停車せず,駅のまわりには当然のように なんにもなくて,舗装道路に出るためには険しい山を登らないといけない。
そんな,存在していること自体が不思議な坪尻駅に,再びふらっと降り立った。今回は,18きっぷを消化中の知り合いを道連れに。

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2005年03月07日

道後

春旅行第二弾は普通の旅行。普通の旅行,って言い方も変だけど。
行き先は道後温泉など。写真は来島海峡大橋。

通り過ぎざま,今治郵便局前のポストの上に,しまなみ海道の置物を確認した。写真が撮れなかったのが残念である。
前々から,しまなみ海道を自転車で渡るという願望があるので,それが実現したときにでもポストを見に行きたい(いつになるやら)。

2005年02月25日

中国地方周遊 3日目

3日目。当初の計画では,米子から「スーパーまつかぜ」で西に向かい,益田から再び「いそかぜ」に乗る予定だったのだが,指定席が取れなかったため急遽変更。特急で混むのはイヤである。

●境港「水木しげるロード」
この日はゆっくりと米子から出発する。境線境港行きに乗車,約40分で境港に着く。
境港では,周りの景色に反してえらく立派な建物が建っている。最初これ全部が駅舎かと思ったが,駅舎は左の出っ張った小さい建物だけで,大きい方は「みなとさかい交流館」という建物らしい。

境港は水木しげる氏の故郷ということで,鬼太郎や妖怪関連を使った観光に力を入れている。この力の入れ方が半端ではない。

駅前から始まる「水木しげるロード」では,ずらーっと妖怪の像が並んでいる。パッと見では何の変哲もない地方の風景なのだが,どこもかしこも妖怪。なかでも衝撃的なのは,街灯が全て目玉。子供は泣きわめくのではないか。

ただ歩いてるだけでもおもしろいのに,しばらく散策していると,どこからともなく何者かがやってきた。

鬼太郎と目玉おやじだ!!
さすが境港は違う,本物の鬼太郎がいるのだ。この人通りのほとんどない所に突如現れる感じがたまらなくよかった。いいものを見たなあ。

●鬼太郎列車
名残惜しく境港を去ろうと駅に戻ると,鬼太郎列車現る。

この気合いの入ったペイント。しかもヘッドライトが目玉である。
最後まで楽しませてくれる境港。またのんびり来たい。

●新幹線乗りつぶし
さて,これからはガラリと変わって山陽新幹線乗りつぶし。いったん「スーパーやくも」で岡山まで出て,あとはひたすら新幹線に乗る。山陽新幹線では最近自動改札が導入されたらしく,改札前では駅員が何人も立って誘導していた。
そんな岡山から新大阪まで,500系のぞみ。鉄道の世界最高旅客速度である300km/hを初体験。500系はかっこいいなあ。かっこいいけど,鼻が長く座席数が少ないためJRには不評だと,以前川崎重工の人に聞いた記憶がある。正面から見たらミミズだし。
新大阪へは,なぜか数分の延着。何をする時間もなく走って乗り換える。この次はひかりレールスターで博多まで。窓際の指定が取れなかったため,通路側でしばらく睡眠。受験生がいっぱい乗っていた気がする。

この便も4分延着。よく聞こえなかった放送によると,岡山-相生間で何かあったらしい。もともと乗り換え時間を8分しか取っていなかったため,この延着により乗り換えは4分。しかも正反対の方向への乗り換えなので,待ってくれるわけもない。思いっきり走って階段を上り下り。新幹線長い!と思いながら指定席へ走った。最後は700系ひかり。広島を過ぎたあたりから満席になった。

●帰宅
岡山からいつものマリンライナー〜高徳線で帰宅。
なかなか充実した3日間だったなあ。

●この日の行程
米子 917〜956 境港
境港 1043〜1122 米子
米子 1157〜1356 岡山(特急スーパーやくも14号)
岡山 1407〜1451 新大阪(新幹線のぞみ19号)
新大阪1459〜1748 博多(新幹線ひかり367号)[4分延着]
博多 1752〜1949 岡山(新幹線ひかり330号)
岡山 2004〜2058 高松(快速マリンライナー59号)
高松 2107〜2259 徳島

2005年02月24日

中国地方周遊 2日目

●下関の朝
早朝4時頃,いそいそと目覚める。暑くてあまり寝られなかった。暑くなったら冷房が入り,寒くなったら暖房が入るという謎の空調。もう少し温度管理をしてほしい。

4時28分,定刻通り下関駅に到着する。車掌さんが起こしに来てくれて,レガートシートの客は全員下車。寝台の方からもカメラを持って何人か出てきた。
なかなか出発しないので何事かと思っていると,機関車の付け替えが行われるようだ。そういえば九州は交流なのか。朝も早くからご苦労様です。

●長門本山駅
山陽本線上りの始発を待って,2日目の出発。山陽本線,宇部線,小野田線を経由して,長門本山駅を目指す。

この長門本山駅のある小野田線長門本山支線は,2年前まで日本最古の電車が走っていたところである。いまは普通の電車に置き換わっているが,それでも一日5往復,しかも朝の7時台2本と夕方3本のみという,極端に乗りつぶし泣かせのダイヤがおもしろい。最初は神戸の和田岬支線のような通勤時に混む路線なのかなと思っていたが,全くそういうことはなく,長門本山行きに乗っていたのは3人。うち2人はワタシらで,残りの一人も写真を撮ってそのまま折り返した。ということは,普段は乗客0人か……。
折り返しの列車には,通学の人らが数人乗ってきた。なんとも,のどか。

●さくぶさ
再び下関駅に戻ってくると,なにやらざわざわしていた。もうすぐ「さくら・はやぶさ」が入線するという。言わずもがな,この「さくら」をはじめ,「あさかぜ」,あとで乗る「いそかぜ」は3月のダイヤ改正で姿を消す。

しばらくすると,さくぶさ入線。さすが「さくら」「あさかぜ」「いそかぜ」がすべて停車する下関駅である。プチ祭りになっていた。身を乗り出して写真撮影をし,警笛を鳴らされまくる人々。こんな光景もあとわずか。

●いそかぜ
さくら同様,あと少しで姿を消す「いそかぜ」に乗る。指定が取れなかったので自由席に並ぶも,ホームは自由席待ちの人で溢れかえっていた。駅員が停車位置を知らないというアクシデント(?)があったので,ホームはかなり殺伐としていたが,いそかぜは定刻通り下関駅に到着。

しかし,禁煙自由席はすでに立ち客が出ている。急いで喫煙席に走り,なんとか座ることができた。ヤニ臭いのに耐えて約2時間半,日本海沿いを北上する。禁煙席の方はずっと超満員。鉄分高し。

●スーパーおき〜ひかりレールスター
益田で特急スーパーおきに乗り換え,山口線を快走して再び山陽側へ。幸い指定席が取れていたのでよかったものの,自由席はかなり混んでいた。大学入試の影響もあったのかもしれないが,それにしても混みすぎ。

新山口で新幹線に乗り換える。久しぶりの新幹線は,アトラクション感覚で楽しめる。速い速い。しかもレールスターは,グリーン席なみの4列シートで快適。

●芸備線
この日はまだまだ続く。広島で新幹線を降り,芸備線に入る。快速みよしライナー。

のんびりと山を登っていく。この日は特急や超特急ばかりに乗ってきたが,旅はやはりローカル線の鈍行がいい(快速だけど)。
しばらくすると,雪が激しくなってきた。北へ行くに連れ,雪は深くなってくる。
途中,三次で乗り換え,備後落合に着いたころには,一面の銀世界になっていた。

山間の無人駅,備後落合駅は,芸備線の上下列車,木次線の列車が勢揃いし,ほんの少しだけ賑やかになった。昔は鉄道の要衝として栄えたらしい。
この日はそのまま芸備線で新見へ抜け,特急やくもで米子まで。米子で宿をとる。

●この日の行程
下関 541〜623 宇部
宇部 630〜641 宇部新川
宇部新川 643〜708 長門本山
長門本山 714〜719 雀田
雀田 721〜736 小野田
小野田 739〜820 下関
下関 920〜1159 益田(特急いそかぜ)
益田1230〜1400 新山口(特急スーパーおき3号)
新山口 1413〜1445 広島(新幹線ひかり364号)
広島 1500〜1626 三次(快速みよしライナー)
三次 1627〜1737 備後落合
備後落合 1805〜1921 新見
新見1928〜2041 米子(特急やくも23号)

2005年02月23日

中国地方周遊 1日目

2005年春旅行第一弾は,JR西日本パス。これは山陽新幹線30周年を記念して発売されたもので,JR西日本エリアの在来線特急・新幹線に乗り放題のフリー切符である。かなりお得感のある切符だが,制限が厳しく,使い勝手がかなり悪い。特に二名以上同一行動という条件があるため,今回はけんぢ氏と共に出かけることとなった。
目的地は……無し。とりあえず中国地方周遊ということにしておく。

●出発
早朝6時ごろ,徳島駅に集合する。実はこの前日に飲み会があったため,かなり眠い。よく起きられたものだと思う。
旅の始まりはいつもの高徳線。最初ガラガラだった車内も,山を超えて香川県に入ったあたりから,通勤・通学客でいっぱいになる。この辺もいつも通り。

今回の同行者は,Hi8を使って鉄パワーを発揮していた。写真もいいけど,動画が残るのもいいですな。
そうこうしているうちに瀬戸大橋線を経由して,児島からはいよいよJR西日本エリアに突入。そのまま岡山駅に到着する。

●急行つやま
岡山駅で,津山線の急行つやまに乗り換える。たぶん初の急行列車乗車だったので楽しみにしてたんだけど,なんのことはない,普通の列車だな……。これだと快速でもいいのではないか。

津山からは姫新線で西に向かい,新見から伯備線の特急スーパーやくもで山陰へと向かう。やくもはビジネス客で賑わっていた。

●米子
米子着。乗り換え時間が少しあったため,米子駅前を散策する。

米子は山陰の鉄道発祥の地らしく,駅前には立派な鉄道のモニュメントが建っていた。最初銀河鉄道か何かかと思ったが,単なる天に向かう(?)列車のようだ。
同じく駅前には,鬼太郎とねずみ男の顔出し看板。3日目に行く予定だが,境港は水木しげる氏の故郷であり,鬼太郎を観光に使っている。境港に近い米子でも,鬼太郎を便乗して使っているようだ。

●特急スーパーまつかぜ〜特急はまかぜ
米子にて,次に乗る予定のスーパーまつかぜを待つ。しかしいつまで経っても来ない。
なにごとかと思っていると,江津あたりで人身事故があったらしく,その影響で20分延着するとのこと。いきなり初日からトラブルである。20分延着となると,次の乗り継ぎが間に合わない。特にこの日は宿が夜行列車なので,それに乗り継げないと大打撃である。

予告通り20分遅れて列車は到着。さっそく接続の有無を車掌に問うたが,いま確認中ですと言ったきり返事が来ない。結局うやむやにされたが,次の普通列車は待っていてくれた。この普通列車から,浜坂でさらに特急はまかぜに乗り継ぐ。はまかぜも待っていてくれた。着いた途端に発車ベルが鳴る,乗り継ぎ0分。かなりしんどい。

途中,餘部鉄橋を通過する。一度来たから覚えていたものの,特急だと速すぎて気づかないうちに通り過ぎてしまいそうだ。鉄橋の上から見下ろす街は,うっすらと雪化粧。
ガラガラだった車内だが,城崎からは大量に乗客がある。この城崎駅,3月のダイヤ改正で城崎温泉駅に変わるらしく,駅名標はすでに新しいものになっていた。いちおう「温泉」の部分を隠してはいたが,隠しきれておらず丸分かりなのがおかしい。

●大阪
はまかぜに乗ること4時間弱,山陰から遠路はるばる大阪に到着する。
先のスーパーまつかぜ延着の関係でお世話になった家族連れのお父さんが居たのだが,結局,米子から大阪まで一緒だった。奥さんと子供2人を連れて,この行程はすごい。5時間乗りっぱなしで全然騒いでいなかった子供も驚愕である。大阪では,はまかぜと一緒に記念撮影をしていた。

このはまかぜ,国鉄色なのは先頭車両だけで,あとはネズミ色の塗装。隣には寝台特急日本海がいた。

そして今夜の宿,寝台特急あかつきがやって来る。このあかつきの最後尾,レガートシートが寝床。そこは普通車指定席の扱いのため,この切符で乗れるのである。

レガートシートにすでに乗っていたのは1組2人。この人たち,朝の急行つやまに乗ってた人たちである。はるばる巡って,またあかつきで乗り合わせた。同じようなことを考えている人が多いのか,今回の旅ではこういうことが多かった。
その後,岡山を過ぎた辺りからさらに2組(4人)が乗ってくる。この日の乗客は4組(8人)。驚くべきことに,早朝4時の下関駅で全員が下車した。あかつきは長崎行きだが,下関を過ぎるとJR九州となるため,この切符では乗れない。だから下関で降りるのである。ということは,みんなJR西日本パスなのか……。

●この日の行程
徳島 615〜808 高松
高松 823〜915 岡山(快速マリンライナー14号)
岡山 927〜1028 津山(急行つやま)
津山 1033〜1204 新見
新見 1220〜1321 米子(特急スーパーやくも9号)
米子 1455〜1600 鳥取(特急スーパーまつかぜ10号)[20分遅延]
鳥取 1604〜1640 浜坂 [14分遅延]
浜坂 1642〜2012大阪(特急はまかぜ6号)[9分遅延]
大阪 2103〜428 下関(寝台特急あかつき)

2004年11月03日

文化の日トリップ 新改駅

夏に使った「四国再発見きっぷ」が余っているので,それを使って出かけてきた文化の日。
目的地は,土讃線「新改駅」。夏の終わりに,同じく土讃線の「坪尻駅」を訪れたが,この新改駅もまたスイッチバックの駅であり,秘境感も坪尻に引けを取らない。
「自由と平和を愛し,文化を薦める」という文化の日に相応しい一日にすべく,一路「新改駅」に向かって旅立ったのであった。

---さて,阿波池田駅発の土讃線下り普通列車は,日本三大秘境のひとつ,祖谷地方の壮大な渓谷美を眼下に望み,珍駅名として知られる大歩危(おおぼけ)駅,そして橋上の駅として有名な土佐北川駅を通過。土佐山田町に入り繁藤駅を過ぎ,長い長いトンネルの連続を抜けると,ようやく目的の新改駅へと差し掛かったのであった。

一旦引上線に入った列車は,方向を変えて駅構内に入場する。
ワンマンなら運転士が前に後ろに行ったり来たりするところだが,今回は車掌が乗務していたため,運転士は逆サイドにいる車掌と連絡を取りつつ,ゆっくりとバックで列車を動かす。
こうして列車は,山奥の静かな静かな駅に到着したのであった……。

列車が去ると,辺りは静寂に包まれた。
駅舎は幾分新しい感じだが,苔むすホームには哀愁を感じる。周りは山に囲まれていて,別段何があるわけでもない。昔は駅前に商店があったようだが,いまはそこも廃屋となっている。最近はあまり見なくなった公衆電話の緑色も,周囲の緑に溶け込んでいる。

駅前には,舗装道路が通っていた。片側は行き止まりになっているので,新改駅に来るためだけに通る道のようだ。
少し道を降りてみると,眼下に工事現場(?)のようなものと,多少の民家らしきものが見えた。あとはひたすら山……。

線路を見てみると,スイッチバックの引上線と本線のレールが美しい形を作っていた。
この写真の左手前(阿波池田方面)から右奥(高知方面)に伸びるのが本線で,右手前が新改駅へ通じる線路。阿波池田方面から新改駅,また新改駅から阿波池田方面へ向かう場合は,いったん左奥の引上線に入ることになる。

駅舎内には,おなじみの「駅ノート」が設置されていた。丁寧に整理されている。管理人さんがいて,こまめにノートのチェックをやっているようだ。
その横には生け花。これは長年放置されているものではなくて,最近生けられたもの。駅ノートの記述をみると,どうやら地元の方がわざわざ生けに来てくれているようである。何もない,誰もいない駅に生けられた花。見る人は少ないだろうけど,この駅に来た人のために生けてくれている,地元の方のやさしさがうれしい。

ひととおりの散策も終わり,駅舎の中で駅ノートを読みふける。ドライブをしていて偶然辿り着いた人もいれば,辛いとき一人になりたくてやって来た人いる。いろいろな人の思いを乗せて,列車はこの駅にやってくるようだ。
14時33分,今日も時間どおりに列車はやってきた。つくづく日本の鉄道は優秀だなぁ,と思いながら,ワタシは帰路につくのであった。

2004年09月10日

夏旅行

この夏の旅行のまとめ。

●8月1日 「記念ICOCA購入旅行
●8月7日〜8日 「中国山地いったりきたり旅」 旅程一日目二日目
●8月22日〜25日 「北陸・能登旅行」 0日目1日目2日目3日目
●9月9日 「坪尻駅訪問

使った主な切符は,こんな感じ(ムーンライト高知の指定券だけ回収されてしまった)。
・青春18きっぷ
・周遊きっぷ(ゾーン券)  加賀・能登ゾーン
・周遊きっぷ(ゆき) 大阪市内→加賀温泉(経由:東海道・湖西・北陸)
・周遊きっぷ(かえり) 津幡→大阪市内(経由:北陸・高山線・東海道)
・特急券 京都→福井(サンダーバード1号)
・自由席特急券 富山→岐阜
・自由席特急券 岐阜→米原
・指定席券 出雲市→大阪(ムーンライト八重垣)
・指定席券 阿波池田→京都(ムーンライト高知)
・四国再発見きっぷ

今度は春。九州上陸を計画中……。

2004年09月09日

坪尻駅訪問

土讃線「坪尻駅」を訪問してきた。
この駅は,全国でも屈指の秘境駅として有名である。辺りに人家はなく,四方を山に囲まれ,舗装された道路に出るためには険しい山道を登らなければならない。日常的に駅を利用している人は,1人とか2人とか言われており(昔,探偵ナイトスクープが調べたらしい,今はどうか知らない),駅が存在すること自体が謎な駅である。
また,アニメ「センチメンタルジャーニー」に登場したことでも有名らしく,田切駅(飯田線)や海ノ口駅(大糸線)のような,いわゆる聖地巡礼先としてもそれなりに有名らしい。
そんな駅に行ってきた。

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2004年08月25日

北陸・能登旅行 3日目

いよいよ,この旅行の最終日。
周遊きっぷのかえり券他を使って,高山本線経由で大阪まで向かう。

●七尾 804→(特急サンダーバード14号)→859 金沢

七尾駅にて,昨日暗くて撮れなかった「のとホーム」を撮影しておく。x番線ではなく,独立した名前が付いているホームである。

周遊きっぷで再びのサンダーバードに乗り込み,七尾線を快走する。能登半島ともこれでお別れ。

金沢駅に到着すると,向かいのホームにトワイライトエクスプレスが止まっていた。実物を見るのは初めてだったので,外から豪華な内装を見て回る。
これに乗れるのは,果たしていつの日のことか……。

●金沢 920→1015 富山

金沢から普通列車に乗り換え,約1年ぶりに富山に降り立つ。駅前のポストの上の薬売りは健在。

ここで,後で乗る「特急ひだ」の特急券を先に買っておこうと,券売機のある みどりの窓口に入ったところ,隅の方に駅スタンプがあるのを発見。まるで隠してあるかのように,検索用のパソコンが置いてある机の下の棚みたいなところにひっそりと置かれていた。
こんなよく分からないところに置いて誰が押すのか,と思いながら,スタンプ帳に富山城のスタンプを押した。

●富山 1111→1129 岩瀬浜 1137→1156 富山

「ひだ」までまだ時間があるので,北陸最後の未乗盲腸線となった「富山港線」に乗車する。この路線はすでに第三セクター「富山ライトレール」に引き継がれることが決定しており,JR線なのもあと2年ほど。

車両は,電化区間なのにキハ120単行だった。合理化のために,朝夕以外はこれらしい。

この路線で注目なのは,JR線の最短駅間である「東岩瀬→大広田」間であろう。時刻表によると,距離は0.5kmとある。時間は2分になっているが,実際に走行している時間を測ってみると,約1分だった。互いのホームがすぐそこに見える距離である。短すぎ。

この区間に限らず,富山港線は全体的に駅間が短い。おまけにずっと住宅地を走っているので,駅ごとに客を拾い,帰りの単行ワンマン列車は鮨詰め状態となった。乗客が「2両くらい繋げばいいのに」とグチグチ言っていたので,日常的に混雑しているのであろう。

わずか45分で往復乗車は終了。

●富山 1309→(特急ひだ12号)→岐阜 1647

鈍行で行ったらほとんど一日仕事になる高山本線を,特急でぶっ飛ばす。それでも3時間半の長丁場である。
乗車率はほどほどであり,快適。また座席が一段高くなっているので,腰のあたりから窓があり,眺めは最高である。山の景色は好きなので,外を見ているとあっという間に岐阜に到着した。

写真は,富山駅。乗車した「ひだ」と,越後湯沢から来た「はくたか」。

●岐阜1709→(特急しなの16号)→1745 米原

この区間は,下りの特急だけが垂井駅を迂回する別線を通る。
時間的に鈍行でも全く問題なかったのだが,せっかく乗車券を持っているのだからと,特急券を買ってその垂井迂回線に乗っておくことにした。
ちなみに自由席特急券は,50キロまで730円である。それで岐阜→米原間はというと,49.6キロであり,うまい具合に50キロ内に収まってくれている。この辺のピッタリ具合は何かうれしい。

列車は大垣駅を通過してしばらくすると,右にカーブして単線の区間に入っていった。これが垂井迂回線。
知らなければ気付きもしないような些細なものだが,乗り潰しには重要である。ついでに乗れて満足。

●米原 1754→1914 大阪

最終ランナーは新快速。帰宅ラッシュに揉まれながら,何のことはなく大阪に到着した。

3日間の旅を終え,大阪からは高速バスで帰路についた。

2004年08月24日

北陸・能登旅行 2日目

朝はボケーっとしていた。いつもなら8時頃の列車に合わせて出るのだが,ダイヤの都合もあって,今日はゆっくりとした出発である。
初めて泊まったけど,格安ホテルチェーンのスーパーホテルは快適だった。これからは贔屓にしましょう。

●高岡 954→1036 金沢

高岡が「周遊きっぷ」の範囲から外れていることを忘れていて,うっかり高岡に宿泊してしまっていることに昨夜気づいた。しかたがないので,ゾーンまでの480円を別に払って出発。

金沢駅はまだ工事中だったが,昨年来たときには無かったドーム状の建築物が出来上がっていた。

最近よく見るような気がする建築。こういうの流行ってるのかな。
作りかけだから何とも言えないけど,真ん中の門みたいなのがポイントですな,たぶん。

●金沢1112→(特急サンダーバード7号)→1210 和倉温泉

いよいよ金沢から,七尾線で能登半島へと向かう。
大阪からはるばるやって来たサンダーバードは,金沢駅で分割されて3両だけが七尾線に乗り入れ和倉温泉行きとなる。周遊きっぷで利用できる自由席は1両しかないので早めに並んでいたのだが,案の定そのうちホームには長い行列が出来て,結局自由席の乗車率は100%を超えていた。こんな平日の昼間でも結構混むもんだ。

しかし途中の羽咋と七尾ではほとんどの人が下車し,終点の和倉温泉にはわずかな乗客を乗せての到着となった。
駅前には温泉地らしく,各旅館の人たちが旗を持って立っていた。この温泉地風情が良い。

●和倉温泉 1300→1334 穴水

ここからは,旧国鉄能登線を引き継いだ「のと鉄道」となる。のと鉄道は2002年に「穴水-輪島」間が廃線になっており,今回乗車する「穴水-蛸島」間も,来春に廃線となることが決定している。なんとも寂しい。

七尾-和倉温泉間はJRとの共存区間になっており,始発はすべて七尾からである。和倉温泉では小一時間の待ち時間をボケーっと過ごし,七尾発のワンマン列車を迎える。
1両しかない車両は,学生で埋め尽くされていた。その上に和倉温泉からは観光客が乗車したため,ちょっとした通勤ラッシュ並の混雑である。

●穴水 1338→1514 蛸島

最果ての0番ホームから,2005年3月31日に廃線が決定している,のと鉄道の末端区間に乗りかえる。穴水までは学生で賑わっていたが,この列車に乗り継いだ人はごくわずかだった。
しかし観光目的の人が結構(といっても3,4組だが)乗っている。沿線には観光地が散在しており,この路線には観光路線としての需要もあるようだ。帰りの列車には,観光に来ていたフランス人の一行も乗り合わせたりして,地味ながら見所は多いように思う。ワタシはこういうところが好きだ。

観光目的の人は,途中の宇出津や九十九湾小木で降車。地元民もその辺や珠洲あたりでほとんど降車し,結局終点の蛸島まで乗り通したのは,ワタシと,一組の親子と,一組の老夫婦だけだった。
それで,なんと,その一組の親子というのが,実は桂文珍師匠とその娘さんだった……という唐突な展開が待っていた。ずっと一緒の車両(ロングシート)にいたのに,実はあとで言われるまで全く気が付かなかったのだが……。

そんなこんなで終着駅の蛸島に到着した。
穏やかに終着駅の雰囲気を味わいたかったのだが,蛸島に着くなり,鉄道関係者が桂氏を出迎えに来ていた。この時点で気づいてもいいと思うのだが,洋服を着てたら意外と気づかないもので,あとで売店の人に言われて初めて気が付いた。

それはさておき,その売店の人というのは,のと鉄道を保存する会的な会(なんだったか忘れた)の人で,十数年間使われていなかった駅の建物を借りて,活性化のために売店をやっているらしい。
そのため駅内は昭和をテーマにあれこれと装飾が施されており,また鉄道関連の展示や写真が置いてあって,なかなか良い感じになっていた。
写真というのは,一度ここを訪れた人たちから次々に送られてくるものらしい。みんな,なかなか粋なことをする。

蛸島駅では記念のと,塩とラムネを購入。
塩は「珠洲の塩」というもので,ソーラーカーで全国を回っているTOKIOが紹介したのがきっかけで,最近人気が出てきたらしい。こんなところでTOKIO効果。

●蛸島 1624→1908 七尾

蛸島では70分の滞在の後,とんぼ帰り。本日の宿泊地は七尾である。ちなみにディスプレイで有名な企業の「ナナオ」は,この七尾のナナオらしい。
最後に乗ったこの列車の運転士さん(といっても往路も同じ運転士さんだったらしい)がいい人で,待ち時間に観光パンフレットを山ほどもらった。先に書いたがフランス人の一行にも会ったし,なんだかんだで良い印象しかない能登は良い場所であったと認識。去年の青春18きっぷポスターのキャッチコピー「I=t人2 旅の印象(Impression)は,時間(time)と出会った人々に比例する」ってのは,実に言いえて妙だと思った。

話は飛ぶが,のと鉄道の車両の配色が好きだ。