2006年09月11日
その1からどうぞ。
前回までのあらすじ: いよいよ襟裳岬まで来たよ。
(本日は苫小牧から帯広まで)
●「襟裳岬」
森進一の歌が有名な「襟裳岬」に着いた。
えり〜もの春は〜♪ 何も〜ない〜春です〜♪
そんな歌の印象が強かったので,本当に何もなくて閑散としているイメージだったのだが,意外と人がいて賑わっていた。
……って写真では全く賑わっているようには見えないが,とにかく印象としては賑わっていた。
先に行った竜飛崎と比べても売店に活気があるし,さすが北海道というべきか,異様にライダーの数が多い。こんな辺鄙な場所なのに,ひっきりなしにバイクが行き来している。
驚くべきことに,カブで来ている人もいた。偶然ハーレーと並んでいたので,おもしろくて思わず写真を撮ってしまった。
そして,写真では伝わらないが,岬には森進一の「襟裳岬」が大音量で流れていた(発信源は売店のスピーカ)。しかもエンドレスに。
やはりというか,歌碑があった。岬=歌+歌碑が定番なのか?
襟裳岬から本州方面を望む。
そして恒例の岬記念写真。一人旅のおじさんにシャッターを頼まれたので,ではワタシも,ということでお願いして撮ってもらった。
「四国でいうなら,足摺岬に似てるだろう」といわれたが,実はまだ足摺岬には行ったことがない。また今度行かねばならんなぁ。
先ほどの写真を見れば分かるが,展望台は突端ではなく,真の岬の突端はまだ先にある。せっかくなので突端まで行ってみる。
突端からの眺め。まぁ,こんなものか。
その後,売店でちょっとした土産を買ったり,ソフトクリームを食べたりして時間をつぶす。
なにせ,次のバスまで2時間半もあるのだ。襟裳岬は良いところだったが,いかんせん岬でこんなに時間が潰せるわけがない。
かなりがんばって,なんとか1時間半は観光することができたが,これ以上は限界だった。まだバスまで1時間あるけど,バス停の前で座って待つことにした。
●えりも岬 1457→1556 広尾(JR北海道バス)
ようやくバスが来てくれた。
えりも岬から乗ったのは,ワタシを含めて4人だった。全員,様似から来るときのバスにも乗っていたので,きっとこのまま帯広までバスで行くのであろう。様似から帯広までは,路線バスで4時間の長旅。まさか同志が3人もいるとは思わなかった。
バスは「黄金道路」と名の付いた道路を進む。
なぜ黄金道路なのかと調べたところ,道路整備の工事が難航し,そのために巨額の資金を費やしたから「黄金」らしい。地図にも載っている れっきとした道路の愛称なのに,こんなひねった意味があったとは。
そんな黄金道路を経由して,走ること約1時間。終点の広尾に到着した。
広尾には立派な待合室がある。この建物は,もともと廃線となった旧国鉄・広尾線の広尾駅だったらしい。
当時の改札らしきものが残されていたが,もう列車は来ない。
が,その代わりにバスが来るのだ。
●広尾 1612→1737 幸福(十勝バス)
広尾線といえば,「愛の国から幸福へ」の幸福駅が有名である(知らない方はWikipediaの幸福駅へ)。
せっかく近くを通るので,途中で下車して幸福駅へ行ってみることにした。
先の広尾の営業所で乗車券を求めると,このような硬券が出てきた。いまでも幸福駅が観光地になっているので,かつての鉄道の代行となるこのバスの切符も,当時の雰囲気を残しているのであろう。
バスは広大な十勝平野の中を進んでいく。この辺は,超が付くほど本当に何もない。目印になるものが全くないので,バス停も"側道"の名前が付いたものが延々と続く(野塚8線,野塚7線,野塚6線...という風に)。
こんなところで取り残されたら,恐怖のあまり発狂してしまいそうだ。ほら,だんだん暗くなってきたし……。
何度も「もう暗くなってきたから乗り過ごそう」と思ったが,「はるばる来たのだから……」と思わずバスを降りてしまった。幸福駅はすぐそこだが,それよりなにより日が暮れそうだ。やばい。
メインストリートを逸れて,歩道の無い側道をしばらく進むと,目的の幸福駅はあった。
お〜,これがかの幸福駅か。
駅舎の中には,ビッシリと紙が貼り付けられていた。思っていたよりもすごい量の紙が貼り付けられており,なんか気持ち悪い気もする。
ホームには昔の車両が保存展示されてある。車両の中にも入れたが,すでに真っ暗で何も見えない。
ああ,ついに日が暮れてしまった……。
まわりに何もないということは,すなわち明かりがない。辺りには漆黒の闇だけが広がる。
すでに店じまいの準備をしていた土産物屋でレプリカの切符を買ったのち,いてもたってもいられなくなって,そそくさとバス停まで引き返した。
バス停のまわりも真っ暗なので,バスに見過ごされないよう,細心の注意を払って30分くらい立っていた。あまりに「人がいなさそうな場所に人(ワタシ)がいる」ので,停車して心配そうに見てくれた人もいたが,たぶん心配したのではなくて,幽霊でもいるのかと思ってビックリしたのに違いない。
●幸福 1837→1929 帯広駅
やがて,時間通りにバスは来てくれた。
まだ18時台だというのに,バスを待っている時の恐怖感たるや半端ではなかった。無事バスに乗車した時の「バスの安心感」は筆舌に尽くしがたい。十勝平野がトラウマになりそうだ。
恐怖の幸福から約40分。ようやく帯広の市街地らしきところに入り,明かりが多くなってきた。デパートに寄り道して客を拾いつつ,予定通りにバスは本日の最終目的地である帯広駅に到着した。
夜行フェリー→夜行列車という車中2連泊のあとだったので,ホテルに戻るとすぐに寝る準備をして床についた。
今日は実に長い(気がする)行程であった。そして,北海道は日暮れの時刻が非常に重要だということを,身を以て体感した夜であった……。
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