2004年08月01日
またYahoo!ニュースからのリンク攻撃が。その記事。
すぐにリンク先は消えるだろうから要約しておきますと,なんでもJR高松駅前のポスト上に設置されている「那須与一像」がたびたび破壊され,今回7回目の被害にあったためについに撤去を決定した,とのこと。
その参考リンクとして,まさにその像の写真を載せているポストの上の像が紹介されていた。
今回は前回と同じ轍を踏まぬよう,転送量対策として該当ページからトップページへのリンクを消してみる。リンク自体は前回とは違って関連性が薄いものだったため,思い切ってバッサリと。これでほとんどの人はポストの写真だけを見て帰るであろう。
実際に統計を見てみると,URLを削りトップページまで辿って見る人は,だいたい100人に1人くらいなものだ。これでだいぶん転送量は減らせたかと思う。
8/1の18時ごろにYahoo! からのリンクは消えたようで,総アクセス数は約30000件。ニュースサイトからの二次リンクがないので,さすがに前回よりは少なかった。
しかしニュースの内容については,何とも言いがたい。訳の分からん人もいるものです。
本日は,JR西日本のICOCAと,東日本のSuicaが相互利用可能となった日。そのことを記念して“相互利用記念ICOCA”が発売されたので,それを買いに出かけてきた。
発売がJR東日本 and 西日本とかならまだいいんだけど,Suica or ICOCAが使える駅に限られているので,四国から行くのは結構面倒である。とりあえずワタシは近いほうのICOCA狙いで。
台風の影響で暴風が吹き荒れる中,朝の6時過ぎに出発し,ICOCAエリアに着いたのが10時頃。主要駅では早朝に売り切れが出ていたようなので,近畿圏からは買いに行きにくそうな,赤穂線の播州赤穂駅に狙いを定めて襲撃。
みどりの窓口で記念ICOCAを求めると,窓口の人はニコニコしながら記念ICOCAを出してくれた。
そしてこれが記念ICOCA,台紙付き。2つあるけど,別に「観賞用」「保存用」と分けているわけでもなく,単に1つは知り合いの分。この図柄はかわいくて気に入ってる(だからこそ買いに行った)。
ここで,購入した記念ICOCAはひとまず置いといて,せっかくなので持ってきておいたSuicaを使って入場してみる。40円しかチャージされてなかったのだが,ICOCAの改札は通れた。Suica改札だと,初乗り運賃以下では入場させてくれないはずなので,SuicaなのにICOCAみたいで,オレがあいつで,あいつがオレで。
Suicaを入場券としては使えないので,とりあえずそのまま山陽本線の相生駅まで移動。とてもSuicaが使えるとは思えないローカルな沿線風景だったが(失礼),ちゃんとSuicaは使えた。
そのあとは姫路駅まで移動し,ICOCAの販売機でSuicaの履歴を印字してみる。これで東と西の駅名が一緒に印字されて,わーい,という感じかと思ったのだが,東での利用履歴はあまりに古すぎて印字されなかった。26週以内の履歴しか印字されないらしい。がーん。
姫路駅では名物の駅そばを食べて,さっそくだがそのまま帰路についた。
#予定では土讃・徳島線経由で帰るつもりだったが,どっちも大雨で運休らしい。なんでこんなに雨降ってるんだ,徳島。
……とまあ,以上がICOCA旅行。
その他に特筆すべきは,青春18きっぷへの日付記入が手書きだったことか。無人駅から乗ったので,車内で車掌さんに言って日付印を押してもらおうとしたところ,おもむろにボールペンで直接日付を記入。そして日付の下に“(列車名)レチ”と記入し,さらにその上に車掌さんの名前のシャチハタを押した。
こんなのありなのか……。手書きなんて初めてだ。1回目にして,なかなか好調な出だしである。
2004年08月06日
夏休みだからといって家でゴロゴロしていても,ろくな事が無い。昨日もゴロゴロしすぎて何をやったかよく覚えてないので,これではいかんと,今日はちゃんと大学に行く。
院試組は毎日がんばっているようなので,負けじと電験(国家試験)の勉強を始めた。去年は運良く4科目中3科目も受かったため,今年は残りの1科目のみ受験。これで合格しないともったいない。しかし,残っている「電力」科目がおもしろくない。困った。
みどりの窓口で,「ムーンライト高知」と「ムーンライトえちご」の指定券をゲット。机上では3泊8日の旅程が出来上がっているんだけど,なにぶん長期な旅行なので,まだ思い切りがつかない。
そうこうしているうちに,明日からは山陰方面の旅に行ってきます。餘部鉄橋〜。
2004年08月07日
青春18きっぷを使った,中国山地をいったりきたりする鉄道旅行。行程の詳細はこっちのエントリをどうぞ。
旅の始まりは,徳島駅……のとなりの佐古駅から。18きっぷの常備券(赤券)もここで売っている。
いつものように乗り継いで,岡山駅まで向かう。
岡山では来年国体があるらしくて,国体マスコットキャラクタが至る所にいた。ちなみにマスコットは,「ももっち」らしい。前髪が微妙に桃太郎。しかし“○○っち”っていうネーミングはいかがなものかと。
赤信号の秒数が表示される信号も発見。大阪にあるのは有名だけど,大阪以外にもあるんですなぁ。
岡山からは伯備線で新見まで。新見では時間があったので途中下車してみる。
1枚目の写真は,高梁川。夏らしい雲も出ていて,清々しい日である。
新見駅前では,「全国初 電子投票のまち」という看板が誇らしげだ。看板ではあきたらず,記念碑まで建っているという力の入れよう。
調べてみると,2002年6月23日に,新見で全国初の電子投票が行われたようだ。
新見からは芸備線に乗りかえ,木次線の備後落合駅まで。さすがにこの辺まで来ると,乗客の大半は鉄分の多い人たちである。駅前は何にもないが,駅の中はかなり賑わっていた。
駅舎の中には,お決まりの駅ノート。そして,時刻表は結構すごいことになっている。備後落合発,木次線の宍道方面行きは,一日3本。このうちの14時27分に乗車する。
1両編成のワンマンカー。乗客は10数人ほどで,結構空いている。その割には車掌が2人も乗っており,オレンジカードの販売に精を出していた。
見所が近づいてくると,列車は徐行し,車掌が案内をしてくれる。定期の普通列車だが,さながら観光列車のようだ。この時期の木次線にはトロッコ列車も走っており,かなり観光にも力を入れているよう。
見所は,奥出雲おろちループと呼ばれるループ線と,全国でも数少ない3段式のスイッチバック。そして出雲坂根駅では,わずか3分の停車の間に,かの有名な延命水を一口いただく。
途中,激しい雷雨があり数分の遅れが出たものの,宍道には定刻に到着した。
時間があったため,宍道湖まで出てみようかと思ったが,あまりの暑さに断念。駅でぐったりしていた。後で調べたら,駅から宍道湖は結構近かったようだ。
宍道湖は,その後の松江方面行きの車内で望む。夕焼けの宍道湖。
松江。今日は宍道湖の花火大会?かなんかがあるらしくて,かなり賑わっていた。人も多いし,時間を持て余すので,夕食を取ってから,来た道を引き返して出雲市へと向かった。
出雲市からは,臨時のムーンライト八重垣を迎える。これが本日の寝床となる。
出雲市からの乗客はまばらで,指定席を取っていたが,自由席でも十分座れたようだ。
事前に調べていた通り,座席は簡易リクライニングシートのうえ,前の席の足元もふさがっており足が伸ばせない。快適に眠るにはかなり厳しい環境である。
おまけに冷房はガンガン効いており,深夜にもなると寒すぎてじっとしていられなくなる。乗りなれてる感じの人は,しっかりと防寒具を用意していた。えーと,今は夏なんだけど……。
そんな感じなので,ほとんど眠れないまま,早朝4時50分の姫路駅にてムーンライトを下車した。
2004年08月08日
詳細は一日目,二日目を参照のこと。ここではひとまず旅程を書いておきませう。
我ながらナイスな乗り継ぎである……と思っていたら,まったく同じ乗り継ぎをする小学生の集団(鉄研ぽい)に出会った。2日目,姫路での播但線の始発から夕方の岡山に至るまで,ず〜っと一緒。ここまで一緒だと逆に気まずい。どれくらい一緒にいたのかは,旅程をみて想像してください。
1日目(8/7)
徳島 615-808 高松 (高徳線)
高松 823(快速マリンライナー)915 岡山 (予讃・本四備讃・宇野線)
岡山 952-1118 新見 (山陽・伯備線)
新見 1227-1301 東城 (伯備・芸備線)
東城 1313-1356 備後落合 (芸備線)
備後落合 1437-1533 出雲横田 (木次線)
出雲横田 1556-1726 宍道 (木次線)
宍道1815-1836 松江 (山陰本線)
松江 1935(快速アクアライナー)2015 出雲市 (山陰本線)
出雲市 2105(臨時快速ムーンライト八重垣)450 姫路 (山陰・伯備・山陽本線)
2日目(8/8)
姫路 606-644 寺前 (播但線)
寺前 647-733 和田山 (播但線)
和田山 738-813 豊岡 (山陰本線)
豊岡 816-829 城崎 (山陰本線)
城崎 949-1029 餘部 (山陰本線)
餘部 1143(臨時快速あまるべロマン)1153 浜坂 (山陰本線)
浜坂 1204-1249 鳥取 (山陰本線)
鳥取 1403-1444 智頭 (因美線)
智頭 1448-1555 上郡 (智頭急行 智頭線)
上郡 1604-1659 岡山 (山陽本線)
岡山 1704(快速マリンライナー)1758 高松 (宇野・本四備讃・予讃線)
高松 1804-2036 徳島 (高徳線)
結果的に山陽側と山陰側を2往復した。岡山発着くらいだと,ちょうどいい感じの鉄道旅行コースだと思う。
1日目は木次線の奥出雲おろちループ,三段式スイッチバック,延命の水。食べてないけど,亀嵩の蕎麦も有名。
2日目は城崎温泉と餘部鉄橋。餘部鉄橋はあと数年で架け替えられる予定なので,見られるうちに見ておくべき。今さら言うまでもないが,素晴らし鉄橋だった。
この日は4時50分の姫路駅から。
何にもすることが無いので,とりあえずコンビニで歯ブラシを買って,歯を磨く。そのあとは駅のベンチでぼーっと過ごし,眠い目をこすりながら,6時6分発の播但線の始発に乗り込んだ。
こんな時間でも,小学生の集団は撮り鉄に精を出している。元気だねぇ。
播但線では寺前で乗り換え。ここからは非電化区間となる。
天気は悪く雨も降ってきたが,終点の和田山に到着する頃には見事に晴れていた。今回の旅の途中では,こんなことが多い。なんかずっと入道雲を見ていたような……。
山陰本線に乗り換えてからは,城崎で途中下車。駅前の温泉施設,さとの湯で汗を流す。
入浴料は800円と,銭湯よりはお高めだが,値段相応の価値はある。いろんな風呂があって結構楽しめるし,なにより随分と気持ちが良かった。
そして,次の目的地は餘部駅である。
いわずと知れた餘部鉄橋。肉眼で見ると圧巻である。素晴らしい。
しかしまあ,時期が時期だけに人が多すぎだ……。下車した人も多かったけど,それとほぼ同時にバスでお越しの御一行様が到着し,大勢でゾロゾロと駅へと登ってくる。さらに地上に降り立ってみると,車で見物に来ている若者がたむろしていた。
なんか適当な観光地みたいになっていて落ち着かない。また人の少ない時に来てみたいなぁ。
駅が鉄橋の高さにあるため,一度地上に降りると,また登るのが大変だ。ぜぇぜぇ言いながら汗だらだらで登る。体力の無さを露呈してしまった感じである。
ようやくたどり着いたホームでは,小学生が涼しそうに大富豪をしていた。
餘部では,臨時快速の「あまるべロマン」を迎える。特急型の乗り得列車だが,乗客はほとんどいなかった。ずっと乗っていたかったが,わずか1駅で乗り換える。そして昨日の松江から18時間,随分と遠回りして鳥取に到着した。
鳥取では,17都府県目の入場券を購入。入場券を集め初めてまだ半年だけど,結構回ったものだ。
バスで砂丘に行くこともできたが,暑いのでやはり駅で休んでいた。いかんな。夏の旅行は向かないのかもしれない……。
鳥取からは因美線,智頭急行線を乗り継いで,三度目の山陽に戻ってきた。第三セクターの智頭急行は,夏休み期間中は一日乗り放題券を発売しているので,それを使用。単に全線乗りとおすだけでも,通常運賃よりお得である。
その後は超満員のマリンライナーから,ガラガラの高徳線に乗り継ぎ帰宅した。
2004年08月12日
徳島が年に一度だけ盛り上がるイベント,阿波踊りが開幕。
このライブ中継では,ケーブルテレビの放送(生放送)を垂れ流しているようだ。固定カメラとかじゃなくて,ちゃんとした番組になっているので,インターネットライブ中継としてはかなり良い感じかも。
2004年08月15日
三日かけて,次の旅の行程を考えた。
東北に行く旅程はすでに考えてたんだけど,「夏は暑い」という単純な理由から延期にすることに決定……。どこ行っても暑いのは変わらんけど,真夏に7泊8日(うち車中4泊)もすると絶対途中でバテると,この前の旅行をしていて思った。
練りに練った壮大な行程(のつもり)なので,卒業旅行にすると面白いかもしれない。それまで温めておきましょう。
で,新たに考えたのが,周遊きっぷ「加賀・能登ゾーン」を使った能登半島付近乗りつぶし。能登半島というか,メインは「のと鉄道」だけど。アプローチ券は大阪発着で,ゆきに“サンダーバード”,かえりに“ワイドビューひだ”に乗車予定。たまには特急に乗りたくもなる。
そんなわけなので,お盆で忙しい みどりの窓口にて,窓口氏にマルスと格闘してもらった。
ガチャガチャと何やらやっていたが,どうも周遊きっぷの出し方がよく分からなかったらしく,格闘すること約10分。ようやく出てきた切符は,経由が間違えていた。
はぁ……て感じで訂正してもらうも,また一からやり直しの上,高山本線経由というのがよく分からないらしく,再び10分ほど待つ。すると,今度は使用開始日が間違った切符が出てきた。
また,はぁ……て感じだが,今度は開き直ったのか,「有効期間内に使うんでしたら このままでいけますね」と言いくるめられてしまった。まあ使えるからいいんだけども。
ついでに,使わなくなった“ムーンライトえちご”の指定券を,“サンダーバード1号”の特急券に乗変してもらう。
このあと知り合い宅に行ってこの切符を見せたところ,“サンダーバード1号”に驚いていた。たしかに“サンダーバード1号”っていったら,普通はロケットの方だよなぁ。
そんなこんなの切符各種。23日から出かけます。
阿波踊りに行ってきたー。
知り合いがカメラ屋で使い捨てカメラを売っていた。コニカの“撮りっきりコニカ”が,コニカミノルタになったことで,撮りっきり“コニカ”じゃなくなっているのに気づいたらしい。ホントだ,さりげなく“撮りっきりMiNi”に変わってるし。
そういや最近はこれのCMを見ないなぁ。
東京行きの夜行バスは7号車まで出ていた。いつもは1号車しかないのに。きっと2号車以降は,普通の4列シートの観光バスだと予想。以前同じような状況で利用し,4列シートだったため愕然とした記憶が……。
下の写真は,奇跡的に手ぶれせずに取れた1/4秒の阿波踊り写真。
右上にはゴリラがいる。
2004年08月21日
明日(22日)は電気主任技術者試験というのがある。
年に一度しかないので,2年目の今年は何とか受かりたいところ。1年は長い。
試験を受けに高松まで行く必要があるので,「四国再発見きっぷ」というのを買ってみる。青春18きっぷの機能限定版みたいなものだが,5回(人)分で5500円とは破格である。
明日一緒に行くという5人を募ったので,これで無駄なく使えて満足満足。
とはいいつつ,実はこの計画には続きがあって,一度5人で帰ってきて解散したのち,ワタシがこの切符を貰い受け,そのまま阿波池田までの乗車券としてさらに使用するという裏(?)の目的がある。そして阿波池田駅にて,23日0:44発「ムーンライト高知」を迎え,そのまま旅行に出ることができるという寸法。(23日は18きっぷを使用)
というわけなので,そんな出だしで能登半島に行ってきます。能登かわいいよ能登(違
2004年08月22日
旅行の0日目。この日は別に旅行に行っていた訳ではないのだが,その割に結構列車には乗ったし,体力的にもかなり疲れた……。
へとへとの状態で,この日のムーンライト高知に乗って旅立つことになる。
●徳島 643→908 高松
知り合いと「四国再発見きっぷ」をシェアして,高松まで向かう。香川大学で“電気主任技術者”という試験があったので,それを受けに行っていた。
どうせ行くなら安く行けた方がいいだろうということで,この切符を提案して一緒に行く人を募ったのだが,真の使い道は今夜のML高知号を迎えに阿波池田駅まで行くことだ。阿波池田で日付が変わるので,その次の日からは青春18きっぷを使うと,一日が有効に使えてかなり良い感じである。
試験の方は前年の科目合格があったため,たった1科目の受験で終了。試験時間は1時間半である。試験会場まで2時間半かけて行き,さらに試験開始まで2時間も待ったというのに……。
切符の性質上,まだ試験が残っている知り合いを待たなくてはならないため,同じく1科目で終わりの知り合いと共に列車に乗る。
JR四国は本州の児島駅までだが(駅自体はJR西日本),切符をよく見ると瀬戸大橋は渡れない断り(宇多津から児島間を除く)が書いてあった。
仕方がないので,時刻表をさっと見て,時間内に行けるところまで西に向かってみた。
●高松 1352→(快速マリンライナー)→1406 坂出 1418→(快速サンポート)→1516 観音寺
特に目的もないが,1時間半ほどで観音寺に到着。駅前のコンビニで飲み物を買って,そのまま引き返す。本当にただの時間潰しである。
途中で,激しい雨に見舞われた。このところ,四国では雨が降りすぎである。この前の台風により,予讃線では,観音寺の少し先,新居浜辺りで線路が断線している。
列車内では,その区間は代行バスによる振替輸送が行われているとの案内がされていた。ただ,道路はかなり混むらしく,場合によっては後続列車との接続を取らないという。結構むごいことをする。
●観音寺 1536→1656 高松
高松までトンボ帰り。
坂出・高松間の普通に乗ったのは初めてかも。いつも通りすぎるだけなので,快速にしか乗ったことがない気がする。
今回は各停のおかげで,初めて鬼無駅の桃太郎電鉄像をきちんと見られた。これは結構よい像だ。
駅名標も変わっていて,「鬼無 (鬼無桃太郎)」という謎の表記だった。しかもイラスト入り。駅名標を変にいじってあるのは,珍しいのではなかろうか。
高松駅でさらに時間があったため,例のポストの上の像を確認。前回行ったときには弓が折られた像が放置されていたが,さすがにもう撤去されていた。キレイさっぱり,跡形も無い。
サンポート高松のシンボルタワーの展望室から,高松駅の頭端式ホームを望む。
●高松 1804→2036 徳島
そうこうしている間に試験は全部終わったようで,再び徳島まで2時間半の長い帰路につく。
この時間は,平日なら帰宅列車になるため珍しく4両も繋いでいるが,今日は休日なので申し訳ないくらいガラガラである。そしてムーンライトよろしく,冷房が効きすぎて寒い。
車両の設備なんてのはよく知らないけど,冷房はON/OFFスイッチしか無いのではないか,と邪推してみる。
普通ならこれで一日を終わるところだが,ここで急いで帰宅し,再び出かけることになる。
駅までの往復に時間がかかるので,家での滞在時間は実質約1時間。この間に旅支度をして,飯を食って,風呂に入る。感覚的には,駅での1分乗り換え並の慌しさである。
●蔵本 2223→2356 阿波池田
今度は徳島線の最寄駅から出発する。この時間ならガラガラだろうと思っていたら意外と人が乗っていて,しばらくは立っていた。
しかし駅に止まるたびに人は減っていき,最終的には3人になった。1人はロングシートで横になって寝ている人。もう1人は同族の人で,このあと同じように阿波池田駅でムーンライトに乗り換えていた。
最終的に,阿波池田でムーンライト待ちをしていたのは10人ほど。
日付は変わって0時44分,定刻どおり到着したムーンライト高知に乗り込み,一路京都に向かって出発した。
やはり冷房が効きすぎていて車内は寒い。
2004年08月23日
この旅行で使った切符は,「青春18きっぷ」と「周遊きっぷ」である。
メインは周遊きっぷだが,1日目はムーンライト高知に乗る都合上,青春18きっぷを使っている。そんなわけなので,1日目はその2種類の切符を組み合わせて,周遊ゾーンに行きつつ,18きっぷで寄り道をするという行程である。
ちなみに周遊きっぷは,
・ゾーン券「加賀・能登ゾーン」
・ゆき「大阪市内→加賀温泉(経由:東海道・北陸)」
・かえり「津幡→大阪市内(経由:北陸・高山・東海道)」
という経路にした。
青春18きっぷと比べると恐ろしく知名度が低いであろう周遊きっぷの説明は省略するが,要はフリー切符に往復の乗車券がセットになっているものである。
●阿波池田 044→(臨時快速ムーンライト高知)→624 京都 (青春18きっぷ)
疲れていたので,初めて夜行快速で普通に眠れた。
ムーンライト高知は,定刻どおりに京都駅の0番ホームに入線。普段なら途中で松山から来たムーンライト松山を連結するのだが,件の予讃線 線路崩壊によりML松山は運休になっており,ML高知3両+機関車だけの到着となった。
18きっぷで一度改札を出て,乗車券(周遊きっぷの ゆき券)で自動改札から入る。
乗車券と18きっぷの組み合わせなら,いくらでも不正に乗車券を使えそうな気がするので(得をするとは思えんが),きちんと役割分担をさせておく。
ここからは基本的に乗車券を使い,脇道にそれるときには18きっぷを使う。
●京都 738→(特急サンダーバード1号)→福井 (乗車券+特急券)
映画もやっていてホットな「サンダーバード」に乗る。しかも1号なので,ロケットだ。
最近まで「雷鳥」を単純に英訳して「サンダーバード」なんだと思っていたのだが,サンダーバードは伝説の鳥のことで,実在する富山の県鳥・雷鳥とは全く関係ないと知ってビックリした。
じゃあ「サンダーバード」っていう愛称は,単なるオヤジギャグみたいなものなのか。「雷鳥だからサンダーバード」は,「石橋だからブリヂストン」と同じ考えなのか……?
●福井 912→(代行バス)→1022 越前大野 1027→1055 九頭竜湖 (青春18きっぷ)
福井で生まれて初めての途中下車印を押してもらい,台風の被害で橋梁が崩壊した越美北線に乗る。
代行バスは,京福の観光バスだった。観光バスとはいえJRの代行バスなので,車掌が乗務しており運賃を回収している。変な感じである。バスは基本的に駅に止まり,その都度 車掌さんは,人がいないかどうか駅舎を覗きに行く。結構大変だ。
バスは途中,件の橋梁崩壊現場脇を通過する。報道されている通りの酷い惨状である。その現場以外でも,あちこちで線路が崩れていた。
9月11日には,一部の区間が復旧するそうである。そのための復旧作業も一部で進められているのが確認された。
道は空いており,ほぼ定刻に越前大野駅に到着する。
ここで残存区間に取り残されたキハ120に乗り換える。代行バスから乗り換えたのはワタシだけだった。
よく見るので名前を覚えてしまったキハ120。路線によって塗装が違っており,ここ越美北線では山をデザインした(?),なかなかモダンな塗装である。正面からだと見づらいが,側面は四角形で模様のようなものが描かれている。
少ない客を乗せて九頭竜湖行きワンマン列車は出発。途中6km超の長いトンネルを抜けると,終点の九頭竜湖駅に到着した。
●九頭竜湖 1100→1127 越前大野 1132→(代行バス)→1237 福井 (青春18きっぷ)
九頭竜湖では,わずか5分で折り返しになる。せっかくだからもう少し滞在したかったが,これを逃すと次は4時間後という凄いダイヤのため,慌しく写真を撮ったあと折り返す。
九頭竜湖の印象は,水道水が滅茶苦茶 冷たかったこと。これは本当に飛び上がるくらい冷たかった。これが真夏の水道水なのか。
帰りの代行バスはかなり乗客がいて,すぐに満席になった。
高校生が結構乗っていたので話し声が聞こえるのだが,その訛りに驚く。モーニング娘。の某さん(名前わからん)の喋りを聞けば分かるが,イントネーションが標準語とは随分違う。これが福井弁らしい。
今風の女子高生でも普通にそんな喋り方なので,結構新鮮だった。方言は良いですな。
●福井 1323→1403 加賀温泉 (乗車券)
加賀温泉が,周遊きっぷ加賀・能登ゾーンの出入口駅のため,ゆき券は加賀温泉までである。これ以降はフリー区間に入るため,特急にも乗れる。せっかくなので,一度降りて特急に乗り換えることにした。
加賀温泉駅では,これまた生まれて初めての無効印を押してもらう。通常使用済みの切符は回収されるが,「記念に切符をくれ」というと「無効」の判を押して切符を返してくれる。これもなかなか良いものだ。押されているスタンプが多いと,切符にも貫禄が出てくる気がする。
●加賀温泉 1421→(特急しらさぎ7号)→1446 金沢 (周遊きっぷ)
ここからは,加賀・能登ゾーン。今日はゾーン内がメインではないのでそのまま通り過ぎるが,ひとまず特急には乗っておく。
さっきはサンダーバードで,今度はしらさぎ。てっきりサンダーバードと同じ車両だと思っていたのだが,JRのページを見てみると,しらさぎの方にはさりげなくパソコン用の電源が付いていたらしい。チェックし忘れ無念。
●金沢 1456→1534 高岡 (青春18きっぷ)
実際には「しらさぎ」が5分遅れていたため,ほとんど金沢での滞在時間はなく,そのまま高岡へと向かう。
ここからはゾーン外へ出るので,また18きっぷにチェンジ。何の切符使ってるのか,だんだん分からなくなってきた。
この日は高岡に宿泊予定である。しかしその前に,高岡から伸びる二つの盲腸線,城端線と氷見線に乗ることにする。
むしろ,この二つの線に乗るから高岡に宿泊することにした,と言った方が正しいかも。
謎の高岡駅北口。
●高岡 1536→1624 城端 1632→1718 高岡 (青春18きっぷ)
まずは城端線。北陸線がズルズルと遅れを引きずっていたため,乗換えがかなりシビアになっており,階段を駆け上がった。あー疲れた……。
しかも乗り込んでみると,2両編成の車両は,学生で埋め尽くされていた。
あとで気づいたんだけど,この辺の学生って夏休みが短いんですな。冬は雪深いため,代わりに冬休みが長い。みんな「夏休みももう終わり」とかいう全国ニュースをみて,なんだよー,なんて思ってるに違いない。
しかしここにきて,連日の乗換えが祟ったのか,かなり苦しくなってきた。分かりにくく言い換えると,浜松-熱海間であり,大垣-米原間であり,岡山-姫路間みたいな気持ちになってきた。
しかたがないので,少し寝て英気を養う。城端線は景色も平凡で中途半端に距離も長く,申し訳ないがあまりおもしろい路線ではない。
城端駅にて。城端(じょうはな)と,常花をかけているらしい。「フラワーラインは うきうきライン!」
●高岡 1727→1753 氷見 1800→1830 高岡 (青春18きっぷ)
気を取りなおして,本日最後の路線,氷見線に乗る。最後もやはり学生に囲まれていた。
さっきの城端線と氷見線には,この春から「ハットリくん列車」が運行されている。氷見は安孫子氏の故郷らしい。乗ることは出来なかったが,適当に見送る。ニンニン。
2004年08月24日
朝はボケーっとしていた。いつもなら8時頃の列車に合わせて出るのだが,ダイヤの都合もあって,今日はゆっくりとした出発である。
初めて泊まったけど,格安ホテルチェーンのスーパーホテルは快適だった。これからは贔屓にしましょう。
●高岡 954→1036 金沢
高岡が「周遊きっぷ」の範囲から外れていることを忘れていて,うっかり高岡に宿泊してしまっていることに昨夜気づいた。しかたがないので,ゾーンまでの480円を別に払って出発。
金沢駅はまだ工事中だったが,昨年来たときには無かったドーム状の建築物が出来上がっていた。
最近よく見るような気がする建築。こういうの流行ってるのかな。
作りかけだから何とも言えないけど,真ん中の門みたいなのがポイントですな,たぶん。
●金沢1112→(特急サンダーバード7号)→1210 和倉温泉
いよいよ金沢から,七尾線で能登半島へと向かう。
大阪からはるばるやって来たサンダーバードは,金沢駅で分割されて3両だけが七尾線に乗り入れ和倉温泉行きとなる。周遊きっぷで利用できる自由席は1両しかないので早めに並んでいたのだが,案の定そのうちホームには長い行列が出来て,結局自由席の乗車率は100%を超えていた。こんな平日の昼間でも結構混むもんだ。
しかし途中の羽咋と七尾ではほとんどの人が下車し,終点の和倉温泉にはわずかな乗客を乗せての到着となった。
駅前には温泉地らしく,各旅館の人たちが旗を持って立っていた。この温泉地風情が良い。
●和倉温泉 1300→1334 穴水
ここからは,旧国鉄能登線を引き継いだ「のと鉄道」となる。のと鉄道は2002年に「穴水-輪島」間が廃線になっており,今回乗車する「穴水-蛸島」間も,来春に廃線となることが決定している。なんとも寂しい。
七尾-和倉温泉間はJRとの共存区間になっており,始発はすべて七尾からである。和倉温泉では小一時間の待ち時間をボケーっと過ごし,七尾発のワンマン列車を迎える。
1両しかない車両は,学生で埋め尽くされていた。その上に和倉温泉からは観光客が乗車したため,ちょっとした通勤ラッシュ並の混雑である。
●穴水 1338→1514 蛸島
最果ての0番ホームから,2005年3月31日に廃線が決定している,のと鉄道の末端区間に乗りかえる。穴水までは学生で賑わっていたが,この列車に乗り継いだ人はごくわずかだった。
しかし観光目的の人が結構(といっても3,4組だが)乗っている。沿線には観光地が散在しており,この路線には観光路線としての需要もあるようだ。帰りの列車には,観光に来ていたフランス人の一行も乗り合わせたりして,地味ながら見所は多いように思う。ワタシはこういうところが好きだ。
観光目的の人は,途中の宇出津や九十九湾小木で降車。地元民もその辺や珠洲あたりでほとんど降車し,結局終点の蛸島まで乗り通したのは,ワタシと,一組の親子と,一組の老夫婦だけだった。
それで,なんと,その一組の親子というのが,実は桂文珍師匠とその娘さんだった……という唐突な展開が待っていた。ずっと一緒の車両(ロングシート)にいたのに,実はあとで言われるまで全く気が付かなかったのだが……。
そんなこんなで終着駅の蛸島に到着した。
穏やかに終着駅の雰囲気を味わいたかったのだが,蛸島に着くなり,鉄道関係者が桂氏を出迎えに来ていた。この時点で気づいてもいいと思うのだが,洋服を着てたら意外と気づかないもので,あとで売店の人に言われて初めて気が付いた。
それはさておき,その売店の人というのは,のと鉄道を保存する会的な会(なんだったか忘れた)の人で,十数年間使われていなかった駅の建物を借りて,活性化のために売店をやっているらしい。
そのため駅内は昭和をテーマにあれこれと装飾が施されており,また鉄道関連の展示や写真が置いてあって,なかなか良い感じになっていた。
写真というのは,一度ここを訪れた人たちから次々に送られてくるものらしい。みんな,なかなか粋なことをする。
蛸島駅では記念の木と,塩とラムネを購入。
塩は「珠洲の塩」というもので,ソーラーカーで全国を回っているTOKIOが紹介したのがきっかけで,最近人気が出てきたらしい。こんなところでTOKIO効果。
●蛸島 1624→1908 七尾
蛸島では70分の滞在の後,とんぼ帰り。本日の宿泊地は七尾である。ちなみにディスプレイで有名な企業の「ナナオ」は,この七尾のナナオらしい。
最後に乗ったこの列車の運転士さん(といっても往路も同じ運転士さんだったらしい)がいい人で,待ち時間に観光パンフレットを山ほどもらった。先に書いたがフランス人の一行にも会ったし,なんだかんだで良い印象しかない能登は良い場所であったと認識。去年の青春18きっぷポスターのキャッチコピー「I=t人2 旅の印象(Impression)は,時間(time)と出会った人々に比例する」ってのは,実に言いえて妙だと思った。
話は飛ぶが,のと鉄道の車両の配色が好きだ。
2004年08月25日
いよいよ,この旅行の最終日。
周遊きっぷのかえり券他を使って,高山本線経由で大阪まで向かう。
●七尾 804→(特急サンダーバード14号)→859 金沢
七尾駅にて,昨日暗くて撮れなかった「のとホーム」を撮影しておく。x番線ではなく,独立した名前が付いているホームである。
周遊きっぷで再びのサンダーバードに乗り込み,七尾線を快走する。能登半島ともこれでお別れ。
金沢駅に到着すると,向かいのホームにトワイライトエクスプレスが止まっていた。実物を見るのは初めてだったので,外から豪華な内装を見て回る。
これに乗れるのは,果たしていつの日のことか……。
●金沢 920→1015 富山
金沢から普通列車に乗り換え,約1年ぶりに富山に降り立つ。駅前のポストの上の薬売りは健在。
ここで,後で乗る「特急ひだ」の特急券を先に買っておこうと,券売機のある みどりの窓口に入ったところ,隅の方に駅スタンプがあるのを発見。まるで隠してあるかのように,検索用のパソコンが置いてある机の下の棚みたいなところにひっそりと置かれていた。
こんなよく分からないところに置いて誰が押すのか,と思いながら,スタンプ帳に富山城のスタンプを押した。
●富山 1111→1129 岩瀬浜 1137→1156 富山
「ひだ」までまだ時間があるので,北陸最後の未乗盲腸線となった「富山港線」に乗車する。この路線はすでに第三セクター「富山ライトレール」に引き継がれることが決定しており,JR線なのもあと2年ほど。
車両は,電化区間なのにキハ120単行だった。合理化のために,朝夕以外はこれらしい。
この路線で注目なのは,JR線の最短駅間である「東岩瀬→大広田」間であろう。時刻表によると,距離は0.5kmとある。時間は2分になっているが,実際に走行している時間を測ってみると,約1分だった。互いのホームがすぐそこに見える距離である。短すぎ。
この区間に限らず,富山港線は全体的に駅間が短い。おまけにずっと住宅地を走っているので,駅ごとに客を拾い,帰りの単行ワンマン列車は鮨詰め状態となった。乗客が「2両くらい繋げばいいのに」とグチグチ言っていたので,日常的に混雑しているのであろう。
わずか45分で往復乗車は終了。
●富山 1309→(特急ひだ12号)→岐阜 1647
鈍行で行ったらほとんど一日仕事になる高山本線を,特急でぶっ飛ばす。それでも3時間半の長丁場である。
乗車率はほどほどであり,快適。また座席が一段高くなっているので,腰のあたりから窓があり,眺めは最高である。山の景色は好きなので,外を見ているとあっという間に岐阜に到着した。
写真は,富山駅。乗車した「ひだ」と,越後湯沢から来た「はくたか」。
●岐阜1709→(特急しなの16号)→1745 米原
この区間は,下りの特急だけが垂井駅を迂回する別線を通る。
時間的に鈍行でも全く問題なかったのだが,せっかく乗車券を持っているのだからと,特急券を買ってその垂井迂回線に乗っておくことにした。
ちなみに自由席特急券は,50キロまで730円である。それで岐阜→米原間はというと,49.6キロであり,うまい具合に50キロ内に収まってくれている。この辺のピッタリ具合は何かうれしい。
列車は大垣駅を通過してしばらくすると,右にカーブして単線の区間に入っていった。これが垂井迂回線。
知らなければ気付きもしないような些細なものだが,乗り潰しには重要である。ついでに乗れて満足。
●米原 1754→1914 大阪
最終ランナーは新快速。帰宅ラッシュに揉まれながら,何のことはなく大阪に到着した。
3日間の旅を終え,大阪からは高速バスで帰路についた。
2004年08月26日
2泊3日+1日の旅行から帰ってきた。
今回は,北陸の盲腸線(行き止まりの線)を5つ全部乗りつぶして,「のと鉄道」も乗りつぶしてきた。越美北線では代行バスに乗った。
いろいろ書くことはあるけれど,来春に一部廃線となる「のと鉄道」の末端,蛸島駅までずっと一緒の車両に乗っていた人が,実は桂文珍師匠だった!という面白そうな話もまた追々(……と引っ張るほど実は大した話ではない)。
2004年08月30日
台風直撃。当初は「猛烈な」台風だったけど,さすがに今は「強い」台風のようだ。「猛烈な」の次は「激烈な」かなあ,とか考えていたけど,さすがにそれ以上の表現はないらしい。
唐突だが,最近お気に入りのアニメ,魔法少女隊アルス。NHKアニメは好きなので大体チェックしているのだが,天才ビットくん枠なんて完全にノーマークだった。これはいい。
今週は怒涛の合宿週間。明日からは研究室合宿で南の方へ……。