2004年03月02日
切符の話ばかりだけど、今日はムーンライトながら91号の指定券をゲット。今期最後の旅行は、去年果たせなかった東京単純往復にしてみた。
去年は航空機利用(今となっては幻の一日乗り放題)の予定だったんだけど、航空管制システムダウンの影響で、結局単純往復にはならなかった。今回は電車だけど、現地での滞在時間は大体4時間になる予定なので、ほぼ同条件である。もっとも、条件が一致したところで大した意味はないが……。
そんなわけで、今まで以上に切符が揃った。あとは旅行に行くだけ〜。
けんぢ氏に、謎のモノを頂く。中国の汁モノっぽいが、恐らく日本には存在しないであろう食べ物なので、怪しさが漂う。
なんでも、近所のおばちゃんのテレビを修理したお礼にもらったらしい。近所のおばちゃん恐るべし。
書いてある漢字から察すると、麦を使った健康食品のよう。お湯に入れて攪拌してくれ、と書いてある気がするので、即席スープみたいなものかな。しかし、それに砂糖が付いてるのは気持ち悪いなぁ……。
とりあえず開封してみる。粉っぽいモノが、予想以上に出てきた。白い粉と、フレーク状のもの。
これを200ccのお湯に溶かす、と書いてある気がするので、その通りにすると、気持ち悪い液体が出来上がった。何なのか分からないけど、甘ったる〜い臭いが……。
とりあえず、気持ちが悪い汁である。少し飲んでみたが、浮いているドロドロしたモノが かなり気持ち悪い……。ほとんど味らしい味がしないのが気持ち悪いのかと思い、付属の砂糖を入れてみたが、気持ち悪さを助長させるだけでだった。
味は多分、写真を見て想像する通りの味だと思う。日本人にはウケないでしょう。
そんなわけなのですぐ捨てようと思ったのだが、これがまた困ったことに、浮いているドロドロしたモノが流しに詰まる。結局流しを掃除する羽目になるのだが、ろ過されたドロドロしたモノの、気持ち悪いこと。
始末が悪い「7+1中老年なんとか」。そもそも7+1って何だ。
2004年03月03日
2004年03月04日
●旅行の一日目は大阪。バスもそろそろ飽きてきたので、たまには船に乗ろうと、まず徳島から南海フェリーで和歌山へ。しかし、いきなり乗船場を間違えるという地元民らしからぬミスに見舞われる。
埋立地にフェリーターミナルがあるので、てっきりそっちから船に乗るものと思い込みチェックしてなかったのだが、行ってみたら窓口に一人いるだけで、客は一人もいない。聞くと、高速船が廃止になった以降、ターミナルから船便は出ていないそうだ。全く機能していない船着場。もったいないからバスが数本出ているみたいだが、それにしてももったいない。辺境なので、こんなところからバスに乗る人も稀であろう。
気を取り直して本当の船着場まで歩く。10分くらいかかったが、早めに行っていたおかげで間に合った。フェリーは、徳島港-和歌山港が2時間。バスと違ってゴロゴロできるので、楽である。和歌山港からは南海の特急サザンで、なんば まで。
●南海なんば で知り合いと待ち合わせており、ここで合流。昼は なんばパークス内にあるナムコのフードテーマパークで、讃岐うどんを食らう。各所で讃岐うどんを食べるのだが、まだ本場の讃岐うどんは食べたことがない……。
食後は、散歩。難波から日本橋を抜け、通天閣へ。久しぶりの通天閣。ここで、集めているタワー置物を購入した。ワタシの後ろに居た人はビリケンさんの置物を買っていたが、やはり置物はタワーに限る。1500円もしたが、以前に買った東京タワーの置物より一回りデカイのは、さすが大阪。
これはタワー模型を並べた写真だが、さすが二大タワーとだけあって、神戸ポートタワーの貧相さが目立つ。
閑話休題。その後はどこに行こうかと悩む。知り合いもワタシも、食にうるさくなければ、買い物にも興味がないので、それを抜きにすると、だいぶ見るところが限られてくる。
大阪で都市計画を勉強しているらしい知り合いに、大阪の都市の成り立ちを講義してもらいながら、とりあえず次は天保山方面へ。
●天保山でもフードテーマパーク、なにわ食いしんぼう横丁。梅田にも新たに餃子のフードテーマパークが出来たそうで、フードテーマパーク盛りですなぁ。
しかし、おやつ休憩出来るようなところではなかったため、結局隣のミスドで休憩。案外そういうものだ。
そして久しぶりに天保山登頂。以前の写真はここにあるのだが、3年ぶりに行ってみると少し変わっていた。下の写真は前と同じ場所なのだが、なんか「日本で一番低い山」のアピールが控えめになっているような……。
しかも、山頂より高い丘にあった「ザンネンデシタ」の看板が消えているではないか。看板自体はあるのだが、文字が消えている。これは非常にザンネンデシタ。
●まだ時間があったので、弁天町の交通科学博物館へ。個人的に、弁天町といえばラジオ大阪なのだが、今回ちゃんと存在を確認できた(当たり前だが)。ラジオ聞くならラジオ大阪、1314OBC。
さて交通科学博物館だけど、見るものが多くて意外と楽しめた。しかし閉館時間が17:30。時間が近づくと職員の人が掃除を始め、早く帰れムードになってきたため、最後のほうは見流して退散。またゆっくり行きたい。
●まだどこかへ行けそうだったため、四天王寺周辺を散歩。京都じゃない清水(しみず)寺まで行き、坂の上にある清水寺から大阪界隈を眺める。清水(きよみず)の舞台ではなく、清水(しみず)の舞台といったところか。
●晩ご飯は博多ラーメン。最後まで大阪らしさが全然ない。知り合い宅にお邪魔して就寝。
2004年03月05日
8時過ぎに知り合い宅をチェックアウト。休みなのに早朝に起こしてしまって、申し訳ない。この日の目的はJR線乗り潰しの一環で、メインは三重県の路線。
阪和線の最寄駅から、阪和線、大阪環状線の通勤・通学ラッシュにもまれ、ひとまず京橋まで。
●京橋 833-914 同志社前 931-943 木津 957-1003 加茂 1006-1134 亀山
予定より早く京橋に着いたため、片町線の快速 木津行きを待たずに、先に途中まで行く同志社前行きに乗車。
同志社前駅の駅舎は、車体を改造したものだった。なかなか趣深い……と思ってたんだけど、この形態の駅舎は途中で結構見かけた。そんなに珍しいものでもないのか。
その後、関西本線へ乗り継いで亀山まで。そういえば前にこの区間に乗ったとき、大阪方面からJスルーカードで改札を通り、山奥の無人駅で降りようとしてた人がいた。5分以上列車は止まってしまったのだが、あの時はどういう対応をしていたのか、少し気になる今日この頃。
●亀山 1150-1212 津
日本一短い名前の駅「津」に到着。これを越えるには、0文字の駅名を考えなければならない。
駅名看板ももちろん「つ」としか書かれてなくて、変な感じ。解像度を低くしていくと、漢字の「津」の部分が潰れて"?"に見えそうだ。
津駅の隣は、かの阿漕である。阿漕駅は非常に阿漕な商売をしている(ウソ)。
列車を何本か見送り、津駅周辺でウロウロする。地下を通ったり、陸橋を渡ったりしながら、線路を挟んで東西にあるJRと近鉄の駅間を行ったり来たりする。この意味のない行動でかなり疲れた。
●津 1318-1332 松阪
快速みえ に乗って松阪まで移動。今まで松阪は「まつざか」だと思ってたのだが、正しくは「まつさか」なんですなあ。これは間違ってる人が多いのでは。当然だけど地元の人は「まつさか」と発音していた。
●松阪 1333-1448 伊勢奥津
松阪では1分乗り換えで、名松線の伊勢奥津行きに乗車する。2日目のメインのメインは名松線。
ちょうど良い時間だったのか、買い物や病院帰りと思われる爺さま、婆さまに囲まれる。同じボックスシートに座っていた お爺ちゃんは、ジャンパのチャックが閉まらないらしく、おかしいなあ、おかしいなあ、と言いながら10分くらい同じ行動を繰り替えしていた。
さて1時間ちょっとで終点、伊勢奥津に到着。おそらく伊勢奥津駅周辺には何も無く、途中の駅でほとんどの人が下車するのだろう、と思っていたのだが、なんと逆にほとんどの人は終点まで乗り通した。伊勢奥津駅前には村営バスが2台止まっており、列車を降りた人たちはサザエさんのエンディングよろしく、バスに吸い込まれていく。そして誰もいなくなった……と思ったら高校生が一人だけいた。その高校生にも、後で車の迎えが来ていたようだ。つまり、この辺の人たちはもっと山奥の方に住んでいると……。
後で話をした運転士さんによると、「景色が良いと言って列車に乗りに来る人はいるけど、実際に住むとなるとねえ……。ここで降りる人は、ほとんどが老人の一人暮らしで、まだここからバスで随分行くみたいだよ」とのこと。うーん、これは大変だ。
さて駅舎には、おなじみ駅ノートがあった。現在No.22だったが、ノートはすでにNo.25の分まで用意されてある。しかしそのノートというのが、よくある「子どもが初めの数ページだけ使って放置し、後かなりのページが残っているのに、もったいないなぁ」という風のノート。つまり初めの数ページには子どもの落書きが残っている。恐らくこの辺の人が補充してるんだろうけど、さすがに初めの数ページは破ってから持ってきたほうが良いのではないか。まあ、おもしろいからいいんだけど。
適当に周辺を歩いたり、駅ノートを読んでいるうちに帰りの時間。来た時に乗った列車が待っていてくれる。帰りの乗客はワタシ一人。ここでさっきの運転士さんが話し掛けてくれて、いろいろ話を聞いたわけである。
名松線は、腕木式信号と通票閉塞が健在、ということで有名だったらしいのだが、腕木式信号は今年1月に廃止になったそうだ(記事)。
運転士さんは、ワタシが徳島から来たというと、「四国ならまだ通票とか腕木式信号が残ってるんじゃない?」と言ってきたが、さすがの四国にも、もうない(らしい)。依然として家城駅ではタブレット交換が行なわれていたが、腕木式信号機はホームに切り替えレバー跡地が残るのみ。
結局、松阪行きの列車に乗ってきたのは、片手で数えるほどしかいなかった。もちろん、「俺は片手で31まで数えられるぜえ」という話ではない。
●松阪 1635-1715 鳥羽 1743-1759 伊勢市 1851-1913 松阪
松阪に着いたあと、運転士さんに「次は伊勢神宮にでも行こうかと思う」という話をしていたら、「次の列車で伊勢市(伊勢神宮の最寄駅)まで行くよ、乗って行きなよ」という。その後 運転士さんは運転台へと戻っていったが、その伊勢市行きより先に快速みえ が到着したため、そっちに浮気してしまった。ごめんなさい、運転士さん。
その快速みえ は鳥羽行き。伊勢神宮に行く前に快速で参宮線を乗り潰してしまおうと考えたわけ。でもこれが失敗だった。鳥羽で折り返して伊勢市で下車、伊勢神宮(外宮)に向かうが、なんと閉まっていたのである。参拝時間が何時までだったのか分からないが、もしかしたら18時までだったのかもしれない。先に伊勢市で下車し、それから鳥羽に行けばよかったなぁと、後悔先立たずを地で行くかたちになってしまった。
●そんなわけで、この日は松阪で宿泊。晩御飯は、かの有名な松阪駅の「牛肉弁当」1260円。
2004年03月06日
この日はひたすら紀勢本線。松阪から和歌山まで、紀伊半島を一日かけてグルっとまわる。
途中、車内で乗車券の確認があったのだが、多気駅からワタシの前に座っていたイチロー風の兄ちゃんも18きっぷ だったようだ。まさかこの時には、この人と12時間後の和歌山まで全く同じ乗り換えをするとは思いもよらなかったのだが……。
●松阪 842-852 多気
多気駅では、ハイカーっぽい人が大勢いた。熊野古道でも歩きに行くんだろうけど、みんな先に来た特急には乗らずに、普通列車に。出遅れたため、ボックスシートは全部取られてしまった。仕方なく、これから延々とロングシートの旅が始まる。
●多気 932-1047 紀伊長島 1115-1227 熊野市
紀勢本線、距離も長いが、停車時間が恐ろしく長い。紀伊長島で28分、熊野市では41分も停車した。すごいのは、熊野市駅の次の駅で降りた高校生。彼は熊野市駅の次の駅に行くために、熊野市駅で41分も待っていたのだ。駅間は2キロなので、熊野市で降りて、そこから歩いた方が早かったのではないだろうか。
さて熊野市で長時間停車なので、一度下車して熊野灘の方へ向かう。本当は1本列車をずらして、鬼ヶ城という波の侵食で出来た奇岩を見に行こうかと思っていたのだが、駅で時刻表を改めて見てみると、運転期間注意の文字が。乗ろうと思っていた便は、ちょうどこの日は運休だった。危ない危ない。仕方が無いので、停車時間中に行って帰ってこられる、獅子岩というのを見てきた。
熊野灘はかなりの絶景。この辺は三陸の方と同じく、リアス式海岸のようだ。またゆっくり来たいが、いかんせん遠いので、だいぶ先の話になりそう。
上の写真の1枚目、堤防の間から海が見える景色はかなり良い。そしてなぜか信号が縦・横に2個ついている。
●熊野市 1308-1336 新宮
新宮は、JR東海と西日本の境目。そんなわけか、かなり接続が悪く、嫌でも新宮で下車しなければならない。
とりあえずその辺をぶらぶらしながら、「浮島の森」へ。浮島の森は文字通り沼に浮いている島で、寒暖の植物が混成しているという珍しい場所だそうだ。100円払って入場。
島は浮いているので、確かに少し揺れる。しかし植物のことはよく分からんので、ワタシにはただの森にしか見えず、5分くらいで島を回って出てきた。いちおう天然記念物らしい。
新宮駅では、名物駅弁のさんま鮨を購入。これ以降は、さんま鮨をちまちまと食べながら移動する。
●新宮 1429-1532 串本
串本は、本州最南端の駅。駅のいたるところに「本州最南端」と書いてあり、あまつさえ駅前には「本州最南端のおみやげ」まである。
いちおう潮岬の最寄駅なのだが岬までは結構遠くて、次の電車までに行って帰ってこれそうもないので、今回は見送り。適当に海岸まで歩いてみたが、雨がポツポツ降り出し、かなり冷えてきたため、駅舎に引き返す。
しかしこの駅舎が、無茶苦茶寒い。寒さに震えながら1時間ほど次の電車を待つ。
ところで、降りた駅に「駅スタンプ」があれば必ず押すようにしているのだが、ここの駅スタンプはすごかった。普通は何か図柄があるもんだが、ここのはでっかく「JR」とだけ書かれてある。もっとマシなのを考えられなかったのだろうか。
●串本 1640-1810 紀伊田辺 1814-1858 御坊 1900-2006 和歌山
これより後は乗り換えもスムーズなので、ひたすら帰る。
隣には、T-1グランプリの参加者と思われる2人組がいた。チェックポイントの新宮まで行って、そのまま引き返してきているようだ。
このT-1グランプリ、駅名看板と一緒に写真を撮る、という条件が嫌だったのだが、やってる人を見てたらおもしろそうなんで、参加してみようかな……。
●そんなわけで、はるばる和歌山に到着。
予定では、ここから紀勢本線の最後の区間、和歌山-和歌山市間に乗る予定だったのだが、乗り換えが間に合わず敢え無く終了。
和歌山駅到着前の車内アナウンスで、「和歌山市行きは1番ホームからです、お急ぎください」と言っていたので、1番のりば へ走ったのだが、1番のりば まで行って気が付いた。アナウンスで言ってたのは、「イチ」じゃなくて「ハチ」だ……。完全に笑い話である。
紛らわしいので、1は「ひと」と発音して欲しい。
次の電車は1時間後だし、それに乗っても次のフェリーには間に合わないため、とりあえず港に向かって歩き始める。地図をPDAに入れていたので、急げば徒歩の方が早いかもしれない……と思ったのが運の尽き。歩けど歩けど港は見えず、結局1時間を過ぎた辺りでようやく港が見え始めた。当然ながら、乗ろうと思っていた便には間に合わない。途中で雨も降ってきたし、これなら駅で1時間待ってた方がマシだった、無念。
結局、寒い寒い港でさらに1時間ほど待って、その日の最終便に乗船、帰路についた。
2004年03月10日
この前の旅行中に見つけたもの。
もとから自販機の設置を想定していたかのような、見事なまでのハマりっぷり。
そしてよく見ると、ゴミ箱は溝にハマっている。
2004年03月13日
大学の粗大ゴミ置き場にカメラが大量にあるよ〜、との知らせを受け見に行ってみたところ、骨董品の山。建築工学科のゴミらしい。呼称が分かんないけど、なんか一見してクラシック!って感じのものがたくさん捨ててあった。
価値のほどは分からんが、とりあえず手頃なサイズで、おもしろそうなものを拾ってきた。
・シグマ AF 50mm F2.8 MACRO
何の変哲も無いレンズ。特に目立った傷もないのに、捨てるとはもったいない。
ただ、どこのマウントか不明。ニコンではなかったので、とりあえず使えるカメラが無い!
・アサヒペンタックス スポットメータ
アナログな測光計。ファインダを覗きながらボタンを押すと、針がピッと振れる。使用期限が85年の006Pが入ってたんだけど、それでも問題なく動いているのが凄い。
特に使う予定は無いが、すぐに測光できるのは良いであろう、たぶん。
・オリンパス PEN-D2
ハーフサイズカメラ……らしい。普通の1コマ分に2コマ撮影するらしく、例えば24枚撮りフィルムで48枚撮れるらしい。こんなのあるんですなぁ。ただし、電池を入れても露出計の針が動かない。
というわけなので、はじめてのカメラ分解。幸いこのカメラ、露出計はただ付いてるだけで、カメラ自体は機械式のフルマニュアル。機械系にノータッチで修理(といっても基板を掃除しただけだが)ができた。
あとはボディの清掃。元大学の備品なので、ボディにマジックで備品No.は書いてあるし、貼ってあった備品シールはボロボロになって、糊だけがベッタリ残っている。これをシール剥がし剤を使いなんとか溶かし、あとはアクリル溶液でボディを磨く。
そんなわけで、ほぼ完全復活した。満足満足。その代わり、部屋がかなり溶液臭い。
この前大量にもらったモノクロフィルム+ハーフサイズカメラという組み合わせは良いかもしれない。しかしあんまり変なことをすると、現像代を高く取られそうな気がするという諸刃の剣。
2004年03月15日
今日は大学の方で、研究室の紹介を聞く。約5時間くらい椅子に座りっぱなしだったんだけど、椅子が固いため、かなり尻と腰が辛かった。
講義室の椅子は、快適性よりも機能性・収納性を重視している。言葉では説明し辛いが、収納性の高い、かなりトリッキーな椅子なのである。そんなのはどうでもいいから、もっと快適な椅子を設置してもらいたい。……なんてことをここに書いても仕方がないんだけど。
2004年03月16日
今日は誕生日なので、運転免許証の更新に行って来た。いつの間にか道交法が改正されたらしく、免許証には「誕生日まで有効」って書いてあるのに、実際には誕生日の1ヵ月後まで有効らしい。これだとだいぶ余裕があるため、更新日を誕生日に合わせることが可能である。
しかし今から思えば、誕生日に更新するより、2月29日に更新する方がよかったかなぁ……。でもすでに後の祭りである。
そんなことを考えていると、免許の取得日もずっと免許証に残るので、何かの日にちに合わせて取ればよかったなぁ、と思い始めるのだが、後の祭りである。
もうひとつ、先に小特免許取っとくんだったなぁ、といつも思うんだけど、これも後の祭りである。
これぞまさに、「後の祭り」祭りなのである。
さて「免許証の写真は、必ず写真うつりが悪くなる」という法則があるみたいだけど、それ以前に今回は写真の写りが悪い。写真うつりじゃなくて、写真の写り。全体的に、霞がかったように白っぽいのだが、前回のもこんなもんだったっけなぁ。
2004年03月17日
明日からは、JR四国の「バースデイきっぷ」を使って、四国を一周してくる。グリーン車にも乗り放題だというのに、旅の始まりは普通列車で鳴門線の往復(地味だなぁ)。
とりあえず天気が心配である。明日は確実に雨かな……。
2004年03月18日
JR四国の企画切符、「バースデイきっぷ」を使って、四国を一周してきた。この切符は、誕生月の連続三日間、JR四国+土佐くろしお鉄道(三セク)が乗り降り自由、しかも特急にも乗れて、グリーン席も指定席も取り放題。それでいて10000円ポッキリという、破格の切符。途中に乗った特急内でもバンバン宣伝しており、JR四国イチ押しの模様である。
というわけで、一日目。徳島から室戸岬を経由して、高知まで。
●徳島 824-838 池谷 840-856 鳴門 901-941 徳島
旅の第一ランナーは、高徳線で池谷まで。池谷で鳴門線に乗り換えて、鳴門に向かう。
この時に乗った車両は3両編成だったのだが、途中駅ではホームの長さが足りないために、つねに3両目は何も無いところで停車する。しかも3両目では、アナウンスも流してくれない。つまり、何のアナウンスも無しに、何も無いところに止まる。
終点の鳴門駅ではホームの長さは足りてるのに、3両目ではやはりアナウンスも無いし、ドアも開かない。よく分からん仕様だなぁ。本当は3両目なんて無かったのかもしれない。
そんな訳で、わずか16分で鳴門線完乗。鳴門駅では、5分の待ち時間に急いで下車してみたが、駅スタンプは無し。そのまま来た列車で折り返す。帰りもやはり、3両目の扱いがよく分からん。
写真は鳴門駅のホームの花壇。渦潮っぽいけど、すごく地味だ。地味すぎる。
●徳島 945(特急 剣山4号)1117 海部
この旅初の特急で、牟岐線完乗。といっても特急なのは牟岐までで、牟岐-海部間はそのまま普通列車に変身する。途中から、なぜかヘッドマークが「むろと」に変わっていた。ちなみに、牟岐線の特急は日本一遅いとのこと……。
終点・海部駅では、かの有名な「純粋トンネル」を眺める。これについては、また後ほど。
●海部 1123(阿佐海岸鉄道)1134 甲浦
海部からは、三セクの阿佐海岸鉄道。ここだけは切符が適用されないので、別料金になる。
この後に乗る土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線とセットで、阿佐線の部分開業区間である。といっても全通は幻。ごめん・なはり線は順調らしいが、阿佐海岸鉄道は大赤字らしい。
いちおう終点の甲浦駅では、まだまだ伸ばせるぞ、という感じで高架がぶった切られていた。
甲浦駅では、売店のおばちゃんが待合所にいた全員にお茶を入れてくれた。雨が降ってて寒かったので、うれしいお茶。
おまけに駅スタンプもあった。新たにスタンプノートを買ったので、記念すべきその1ページ目が、阿佐海岸鉄道 甲浦駅となった。
●甲浦 1149(路線バス)1336 奈半利駅
甲浦駅前のバス停から、延々と路線バス。この辺は去年の夏に自動車で走ったから、道が分かっておもしろい。室戸岬をグルっと周り、海岸沿いを進んでいく。ここもリアス式海岸。
2時間ほどで、ようやく奈半利に到着。しかし奈半利で降りようとするも、運転手さんに止められる。奈半利の次のバス停が、奈半利駅の前だそうだ。知らない土地の路線バスは難しい。降りようとしたけど乗り直し、すぐそこの次のバス停まで連れて行ってもらう。
で、そこが土佐くろしお鉄道の奈半利駅。奈半利駅のマスコット、「なは りこちゃん」がお出迎え。
●奈半利 1404-1500 後免
土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線。一昨年の夏に開業した新しい路線で、全駅にそれぞれ、やなせたかし氏デザインのキャラクタがいるのが特徴(参考)。しかも全駅前にキャラクタの像があるのは凄い。
こういうキャラクタがいると、全駅で降りて写真を撮りたくなるのだが、さすがにそれは難しい。そんな要望に答えるかのように、奈半利駅の窓口で全駅のキャラクタスタンプを押した紙がもらえた。これならわざわざ全駅にいかなくてもいい!……けど何か違う気がする。
そんなわけで くろしお鉄道に乗り、車掌さんが謝ってくれることで有名な「ごめん」に到着。ここでJR線に連絡。
ちなみにJR四国には、「おおぼけ(土讃線)」という駅があり、「はげ(予土線)」という駅がある。さんざん人を貶しておいて!と思ったら、「ごめん(土讃線)」でちゃんと謝ってくれる。律儀である。
ホームには、ごめん駅のマスコット、ごめん えきお君の像と、やなせたかし氏の詩があった。
●後免 1509(特急 南風11号)1516 高知
この日の最後は、特急に一駅だけ乗り、高知に到着。
●高知
キオスクで路面電車の一日乗車券(500円)を購入し、とりあえず はりまや橋。
言わずと知れた、日本三大ガッカリの一つ。すでにガッカリ名所としての方が有名かもしれない。何のおもしろみも無い。これならまだ、ペギー葉山記念植樹の方がおもしろい(いや、そんなことはないか……)。あんまりペギー葉山については知らない。
そして、龍馬郵便局前でポストの上の像(こちら)を捕捉。
なんにでも龍馬を付けたがる高知県。高知龍馬空港は有名だが、龍馬郵便局はマイナーらしい。高知出身の知り合いも知らなかった。
ポストの上以外にも、入口前にデッカイ像が。主張が激しい。
その後は、バスで桂浜まで。こんな道をバスが走るのか!って感じで衝撃を受けた。
本家の龍馬像は、郵便局前の像より断然かっこいい。写真を比べてみると、やはり郵便局前のは単なるパクリっぽい感じだなあ。
そんな感じで、一日目は終了。
2004年03月19日
●高知 801(特急 南風6号)1004 児島
2日目の朝、通勤・通学の人たちが眠そうにしている中、高知駅でアンパンマン列車を向かえる。アンパンマンのペイントがしてある列車で、最近では徳島にも乗り入れるようになり、四国中で走るようになった。
このアンパンマン列車の中で、アンパンマン列車スタンプを押す。あとで分かったのだが、ちょうどアンパンマン スタンプラリー期間中だったようで、いたるところでアンパンマン関係のスタンプがあった。ただその代わりに、昔からあるスタンプはほとんど撤廃されてしまった模様。結局、今回の旅行中に見つけたスタンプは、アンパンマン関係が8種、わたしの旅スタンプが2種、それ以外が2種だった。アンパンマン強し。
閑話休題。このアンパンマン列車で、この旅初のグリーン車にして、人生初のグリーン車に乗車。JR四国のグリーンは他と比べて大したこと無いらしいんだけど、それでも随分快適である。
そのまま瀬戸大橋を渡って四国を抜け出し、児島まで行く。
●児島 1027(快速マリンライナー19号)1042 坂出
切符が使えるのは児島までなので、ここで引き返す。わずか15分だけど、新型マリンライナーのグリーン車に乗車。
2階席だったけど、シートピッチは狭く、天井も圧迫感があって、あんまりグリーンという感じではないかなぁ。それでもグリーン席は満席だった。
新型は変な顔だ。
●坂出 1048-1053 宇多津 1105(しおかぜ7号)1309 松山
特急への接続のため宇多津まで移動し、そこからJR四国のドル箱、特急しおかぜ。グリーン席もほぼ埋まっていた。小市民なワタシには、グリーンに乗ってる人が全員ブルジョアに見えてしまう。
●松山 1318(特急 宇和海11号)1350 伊予大洲
松山に着いたが特に何をする時間もなく、今度は宇和島行きの特急で南下。松山以西の予讃線には、山回りで内子線経由の新線と、海回りの旧線があり、特急は全て新線を通る。そのため、乗換駅の伊予大洲まで行って、そこからの普通列車で海回りの旧線へ。
●伊予大洲 1402-1452 下灘
海回りの途中には、青春18きっぷのポスターに過去3度登場という、有名な下灘駅がある。ここで下車。
天気も良かったため、海がかなりキレイに見えた。それに加えて、駅の雰囲気が良い。柵に近所の住民が洗濯物を干しているのなんて、生活感がありすぎ。
他にも写真を撮ってる人がいたけど、列車が去った後にそそくさと自動車で帰っていった。なんと合理的な。
ワタシはというと、次の列車が来るまで1時間半、ベンチに座って海を見ていた。非合理のカタマリである。
●下灘 1620-1700 松山
再び松山に到着。日が暮れる前に中央郵便局前のポストの上の像を捕捉し、路面電車で道後温泉へ。行ってみると、温泉で のぼせた人がいて騒然となってたが、温泉は温泉だった。
この日は、これにて終了。
2004年03月20日
最終日。この日は帰るだけなんだけど、かなり大回り。
●松山 806(特急 いしづち1号)926 宇和島
松山駅で待っていると、変なのが入線してきた。京都発の臨時夜行快速、ムーンライト松山。
停車するや否や、カメラを持ってる人が10人くらいドッと出てきて、写真を撮り始める。その辺の人が「これって珍しいんですか?」と聞いていたが、カメラマン氏は「いや、別に」と答える。この受け答えは妙におもしろい。
ムーンライトが奥に引っ込むと、特急いしづちが入ってきた。それに乗って、宇和島まで。
●宇和島 929-1129 窪川
ここからは予土線。普通列車しか走ってないのはもちろん、それも全部ロングシートらしい。乗ったのも、ご多分に洩れずロングシート。
せっかくの四万十川だが、天気の悪さも手伝って、あまり見ることはできず。2時間ほど我慢して、窪川に着。
●窪川 1257(特急 南風3号)1356 宿毛
窪川駅で結構待って、特急で宿毛まで。ここからは旧国鉄中村線、現在は土佐くろしお鉄道。
今年に入って大規模な土砂崩れがあり、相当の被害を受けたらしい。現在は復旧しているが、土砂崩れが起こった区間では、時速15キロの速度制限がかかっていた。
1時間ほどで宿毛着。
駅舎は立派だが、駅前は殺風景だった。なんか凄いところまで来てしまった、という感じを受ける。
観光目的っぽい二人組みが居たが、あまりのバス便の少なさに愕然としていた。あの人たちはその後どうしたんだろう。
●宿毛1448(特急 南風24号)1848 丸亀
四国一周もいよいよ大詰め、ここにきて4時間の長時間乗車。土讃線を一気に走り抜け、香川県の丸亀まで行く。グリーンだから大丈夫だろうと思ったけど、さすがに身体的に少し辛かった。腰が痛い。
途中、高知駅にてJR四国を完乗。ついでに四国内の三セクも完乗。
写真は、2日目に乗ったのとは別バージョン(色が違う)のアンパンマン列車。写真を見て気付いたのだが、フロントの隅の方には「PINOCCHIO」「TOHO」「SEGA TOYS」「BANDAI」のロゴが入っている。
著作権関係かな。実はこの列車はBANDAI製の模型だった! とか。
●丸亀 1854-1901 坂出 1913(快速 マリンライナー53号)1928 高松
日も暮れて、あとはもう帰るだけ。ここで再び、新型マリンライナーのグリーン車に15分だけ乗車してみた。でもすぐに高松。
●高松 1953(特急 うずしお25号)2055 徳島
最終ランナーは高徳線の特急うずしお。
最後くらい列車内で駅弁でも食べようと思っていたのに、無情にも駅弁は売り切れだった……。
そんなこんなで、四国一周は終了したのであった。
2004年03月22日
先日の旅行中に見つけたもの。
まずは、JR牟岐線 海部駅の純粋トンネル。
この物件は、赤瀬川原平氏の著書「超芸術トマソン」でも紹介されているので、結構有名かもしれない。
山があるためにトンネルを作ったのではない。これは、トンネルがトンネルとして存在するためだけにある、非常に純粋なトンネルなのである。
先に書いた本に載っている写真は20年以上も前のモノなのだが、周囲の様子は変われど、トンネルだけは全く変化していないようだ。
次は、JR予讃線 下灘駅周辺で見つけた階段。
最初に見たときは、我が目を疑った。この階段、角度が半端ではない。
1枚目は、上から階段を覗き込んだ写真。この写真を見ると途中で段が消滅しているように見えるが、これはあまりに角度が急なため、上からは見えないのである。階段を上るというか、ほとんどハシゴを上る感覚に近かった。
2枚目は、階段の上からの景色。あぁ海がキレイだなあ、という感じだけど、よく見たら手すりの角度が怖い……。
(階段の下からの写真は、うっかり撮り忘れてしまった。惜しい。)
2004年03月25日
昨年達成されなかった東京単純往復を! というわけで東京に向かって旅に出た。去年はANAの一日乗り放題で失敗したが、今回の移動手段は青春18きっぷ。メインは、初のムーンライト乗車と、東海道本線。
そんなわけで、1日目(特に明記してない区間は、最速ルートを通った)。
●徳島-高松-岡山(赤穂線経由)相生-姫路-三ノ宮-神戸-尼崎(JR東西線経由)京橋-大阪-京都-大津-米原-大垣-(東京)
さて、この日は23:19発の"ムーンライトながら"に間に合うよう、大垣駅まで行くのが目的だった。しかしただ行くだけなら時間が余るので、途中、三ノ宮と大阪で少しだけ時間を潰す。それだけの日。だが、それがいい。
大垣には、ながら乗車の約1時間前に到着。この日のながらは約15分遅れで発車した。
●都道府県・代表駅の入場券
三ノ宮から神戸に引き返したりしているのは、最近集めている「都道府県・代表駅(時刻表の索引地図で◎の駅)の入場券」を買うため。特に意味は無いんだけど、最終的には全都道府県に行ったぞ! という証明になるかもしれない。
沖縄にJRの駅は無いが、鹿児島に代表駅が2つあるため(鹿児島駅、鹿児島中央駅)、入場券は全部で47枚になるはず。
今月から集め出したんだけど、いま集まっているのは14枚。復路での話だが、このためだけに岐阜駅で下車したのに、いろいろあって買い逃したのが悔まれる。全部集まるのはいつのことだろう。
2004年03月26日
東京単純往復2日目。
●(大垣)-東京
なんだかんだ、初のムーンライトながらでは、ほとんど睡眠できず。話には聞いていたが、なんと不正乗車客(全席指定区間中に指定券なしで乗ってくる客)の多いことか。デッキと座席の間に扉が無い車両だったため、デッキが丸見えでかなり鬱陶しい。
しかもこの晩の便では、乗車券はおろか指定券の検札さえなかった。いちおう車掌が歩いていたが、不正乗車でデッキにいる人に対しては、見て見ぬふり。とりあえず、車掌はサボりすぎかと……。
そんなこんなで、東京には定刻の4:42に到着。この時間だと人のいない東京駅が堪能できる。ながらでは検札がこなかったので、東京駅でこの日の日付スタンプを押してもらった。
写真は誰も居ない4時台の東京駅。変な感じ。
●東京(中央本線)新宿(山手線外回り)御徒町(徒歩)秋葉原(京浜東北線)東京
少し休んで、5時くらいから大回りで御徒町に向かう。中央線では人がまばらだったが、新宿で乗り換えると、5時台だというのに山手線は満員だった。覇気の無い眠そうなリーマンを見るにつれ、なんとなく虚しくなる。あぁ東京砂漠。
御徒町に向かったのは、燕湯という朝6時からやってる銭湯があるため。初めて行ったけど、普通の風呂の横に、べらぼうに熱い風呂があったりして、いかにもな下町風情が良い。
風呂から上がると、そのまま朝の通勤ラッシュに飛び込み、早速東京を脱出する。これぞ単純往復!
ちなみに徒歩で秋葉原まで行っているのは、風呂後の散歩のため。早朝の風が気持ちいい……と思ったけど大雨だった。あと本当にヤマギワソフトは焼けていた。
●東京(横須賀線)横浜(根岸線)大船
できるだけ未乗車区間を乗ろうと思い、新川崎経由の横須賀線(通称 品鶴線、正式には東海道本線)と、桜木町経由の根岸線に乗る。東京-品川間の地下線(横須賀線と呼ばれるところ)も初乗り、というかこんなのがあったとは知らなかった。
東京近郊の路線がどうなっているのか、まだよく分からない。運転系統が多くて、路線名も系統名だか愛称だか正式名称なのかよく分からん名前だし(さっきの横須賀線とか)、その上に人多過ぎ。あんまり乗りたくない。
●大船-小田原-熱海-静岡-浜松-豊橋-名古屋-岐阜-大垣-米原-大阪
大船からは、ひたすら東海道本線を下る。熱海駅とかは、客層からしていかにも観光地、という感じ。この辺からの車窓は、車体のカラーよろしく、みかん畑・茶畑があってなかなかの景色。これで客がほどよく少なければいいんだけどなあ……。
県庁所在地では下車しつつ、最終的には19時頃、大阪に着いた。さすがに大阪から、さらに5時間以上かけて徳島まで帰る気力はないので、高速バスでワープして帰宅。
単純往復は、本当に単純に往復しただけで終了と相なった。
●岐阜駅の入場券
せっかく入場券を買うために下車したのに、時間切れで保留した駅。
問題なのは、自動券売機での入場券の販売がないということ。券売機によっては買えない券売機もあるけど、岐阜駅のは全部が買えない券売機。
あとで調べたところ、代表駅でこの待遇なのは岐阜だけらしい。許すまじ岐阜駅。
マルス券はサイズが違うのでイヤだったんだけど、仕方がないので乗車予定の電車を一本遅らせ、みどりの窓口に並ぶ。しかし1階窓口氏いわく、「入場券は2階窓口のみの販売になります」 と。
言われるままに2階に行ってみると、2階窓口は大行列。もう一本電車を遅らせないと無理そうだったため、諦めて岐阜駅を去った。
なぜこんなに入場券の待遇が悪いのか……って、ほとんど買う人がいないからか。どうせまた来るだろうから、今回は保留ということで。
●現在の乗りつぶし状況
春の乗りつぶしは今回ので終わり。
完全に自己満足だけど、達成状況を別ページにまとめてみた。
表から何となく分かることだが、東北・北海道・九州がまだ未踏。夏に時間があれば、次は東北かなあ。
2004年03月27日
旅行に行ってたんだけど、帰ってきてみれば、それどころではないニュースが。
あしかけ4年間応援してきたけど、非常に残念な結果で幕を閉じることに……。ただ、商品代金が200円ということもあり、わざわざ返品する人も少ないでしょうなあ。10年後の自分へのメッセージ欄に何か書いてある人は、間違いなく返品しないでしょう。
そして早速、ヤフオクでは価格が上がってきた。
あともう一つ。旅行から帰ってくるや否や、知り合いからメールがあり、大変なことになっているという。何事かと思ったらYahoo! ニュースからねこプラへのリンクが発生してるし……。
これに伴い、続々と同志の方からメッセージをいただいております。今までタイムカン仲間(?)が少なかっただけに、感激の極みです。ありがとうございます。
2004年03月30日
ようやく落ち着いてきたので、当ページのタイムカン騒動のまとめ。
要約: 3月26日19時39分に更新されたYahoo! ニュースの記事(タイムカン回収)で、参考リンクとしてタイムカン10カ年計画が紹介される。以後3月28日の昼頃までリンクは残り、その間に孫ニュースサイトなどに拾われ、一時的にnekopla.comへのアクセスが殺到する。要約終わり。
タイムカンのページへのアクセス数は、この数日(26-30日)で60000件超だった。もうこれから一生見ることがないようなアクセス数……。Yahoo! の力はすごい。
しかし逆に弊害もあり、このアクセス数のおかげで、サーバ(レンタルしてます)の規約を超える転送量が発生してしまった。他の利用者に迷惑をかけないように、ということで許してもらえたが、最近は画像をベタベタ貼り過ぎているので、その辺の構造改革(痛みを伴う)が必要かなぁ、と思う今日この頃。
とりあえず寛大なサーバ業者に感謝。