2010年02月02日
昨日、大阪ではまとまった雨が降った。
そして、京阪中之島線・大江橋駅は漏水していた。
今回新たに、上記2箇所の漏水スポットが登場した。これにより、漏水スポットは計4箇所となった(私調べ)。
……えーと、がんばれ、中之島線! ちなみに上の写真、人っ子ひとり写っていないが、これが朝8時前の中之島線の現状である。
(前回の漏水)
2010年02月07日
●旅の起こり
---2009年12月5日、大阪市内、某焼肉屋
「日本一寒い町で開催されるしばれフェスティバルにみんなで行こうぜ」(→参考(DPZ))
「人間耐寒テストが土曜(2/6)の夜だから、それには参加したいよな」
「じゃあ、土曜の朝一から移動して、耐寒テストに参加して、日曜は帰宅日か? 日程タイトだな」
「金曜(2/4)はみんな年休とって、その日のトワイライトエクスプレスで北海道入りするとかどうよ?」
「いーねー」
♪ラララむじんくん(ネタが古い)
●トワイライトエクスプレスの予約開始日(運行1ヶ月前)
---2010年1月4日、9時50分、大阪市内某駅みどりの窓口
(イメージ)
トワイライトの寝台を10時打ち(10時の発売と同時にMARSを叩いてもらって予約する手法)して欲しいと申し出る私、承諾する窓口氏。
やがて窓口氏は、予約の素振りを始める。カタカタカタ……。
MARSの画面には、「まもなく10時、予約開始時間です」というような案内が表示される。
そして、
---10時00分00.00秒(そんなに精度はないだろう)
カタ。(窓口氏がキーを押す音)
窓口氏「あ、全室埋まりましたね」
私「一室も取れないんですか?」
窓口氏「もう、ひとつも空いてないですね」
●起死回生の東北旅行プラン
その後私たちは、会社の食堂で週に1度の密会を重ねながら、挽回プランを練っていく。
---2010年1月XX日、某会社の社員食堂
(イメージ(大嘘))
「北海道に行くならもう飛行機しかないよなー」
「もたもたしてると、ANA超割の期限が過ぎてしまうぞ」
「ここは思い切って、沖縄とかどうよ」
「いいねー、本島じゃなくてやっぱり離島でしょう」
「でも寝台列車には未練があるよね」
「寝台なら、トワイライトは無理にしても、日本海とかきたぐにとかならまだ取りやすいよ」
「それだ!」
日程も迫ってきている中、超遠方の北海道陸別町に行くことをあきらめ、比較的近場の東北に的を絞る。
金曜(2/5)夜の寝台急行きたぐにで北上、
最上川の川下りを楽しみ、
銀山温泉で宿泊、
米沢牛を食べて帰る。
そんなプランを立案して、まもなく切符の手配を始めようとしていた、そのとき。
●計画の崩壊
---2010年1月XX日、携帯、着信あり
(イメージ)
私の携帯電話が鳴る。送信元は、旅行に行くメンバのひとり。
「土曜日、休日出勤の可能性あり」
構想2ヶ月におよぶ計画が、紆余曲折の末、仕事という現実に負けて崩壊した。
●新たな計画、じねんじょ
宿泊旅行が不可能となった今、なんとか日帰り旅行のプランでも……と、もう何度目かの社食に集まる。
---2010年1月XX日、某会社の社員食堂
(もういいよ)
「岐阜の明知鉄道で、じねんじょ列車っていうのを見つけたよ」
「トワイライトでフランス料理を食べる予定だったのが、普通列車でじねんじょを食べる計画に変わるのか」
「ひなびた感じが、悪くないんじゃない?」
「最上川の川下りも出来なくなったけど、近くの恵那峡で渓谷めぐりができるみたいだね」
スケールがどんどん小さくなっていくものの、計画はなんとか岐阜プランでまとまるかに思われた。
私「じねんじょ列車の予約をしたいんですけど。2月7日で」
電話氏「えーと……」
私「あー、満席なんですね。じゃあ仕方ないので諦めます」
電話氏「えーと……」
私「?」
電話氏「人数が集まってないので、運行されない予定です」
●後日談
---2010年2月4日、大雪
2月4日から5日にかけて、日本列島はかつてない寒波に襲われていた。特に新潟地方は記録的な大雪に見舞われ、交通機関は荒れに荒れることとなった。
(イメージ)
1月4日、私が10時打ちを頼んでいたトワイライトエクスプレス、
予約が取れなくて悔しい思いをしたあの列車も、もちろん運休になった。
東北プランで乗る予定だった寝台急行きたぐに、
社食での会合を繰返して生み出した起死回生プランの列車も、もちろん運休になった。
そして、岐阜プランのキモとなる、じねんじょ列車、
人数が集まるのを願って直前まで予約をしていたが、最少催行人数割れで運休になった。
今回の旅行は、初めから詰んでいた。
●そして、
2010年02月28日
以前、大阪港湾にある舞洲・夢洲・咲洲について書いた。
次は夢洲に上陸しないとなぁと思いつつ早数ヶ月、今日は突然思い出したかのように、一路夢洲へと向かった。
周辺地図:
地図を見る限りでは、島を縦断する道路があるだけで、他には何もない夢洲。実際にはどうなっていたかというと、
本当に何もなかった。
写真は、夢舞大橋から島の西側を見たときの風景で、これぞ荒野 of 荒野s。もともとはオリンピックの選手村になる予定だったらしいが、そんな話はどこへやら。この荒野は何に活用されるのだろう……。
道路を挟んだ東側の土地は、コンテナ埠頭になっていた。これならまだ分かる。
ちなみにこの夢舞大橋、舞洲側で歩道が封鎖されていて、徒歩・自転車では渡ることはできない。バイクを路肩に止めて歩道に降りてみると、人が通らない歩道は見事に朽ち果て始めていた。
歩道の封鎖を突破して徒歩で渡っている人も見受けられたが、この橋はそんな無法者には厳しい。なぜかというと、
歩道は途中で寸断されているのだ。なんだこれ……。
そんな厳しい歩道上には、見る人もなくひっそりと、立派な「夢舞大橋」案内があった。
こんな図解が書かれていた。
図解の通りすごいギミックのある橋なのだが、いまだ船の通行のために開閉したことはないらしい。これまで毎年行われていた開閉訓練も、去年は開催されなかったようだ(たぶん)。もう見捨てられた?
そんな夢舞大橋を、夢洲側から望む。舞洲のゴミ処理場の煙突が見える。
橋をジャッキアップしたときに持ち上がるであろう部分。
橋を下から。
開閉するところ、見てみたいなぁ。
もう一方の出口である夢咲トンネルが、海底に向けて口を開けていた。ここを抜けると、大阪南港に出られる。トンネル内は125cc以下通行禁止のため、やはり夢洲への徒歩・自転車での上陸は不可能のようだ。
というかトンネル掘れるなら、夢舞大橋もあんな大掛かりな仕掛けを作らずに海底トンネルにすればよかったんじゃ……。
そんな大阪市の無駄遣いが詰まった、夢の島、夢洲であった。相変わらず大阪港湾は楽しい場所が多くて飽きない。大阪府庁がWTCに移転すれば、この辺の状況も変わるのだろうか。
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おまけ:
昔撮った写真を漁ってみると、8年前の夢洲の写真があった。
2002年3月、WTCからの撮影。
写真中央の丸い物体が「なにわの海の時空館」なので、奥に見えるのが夢洲の原型だと思われる。写真右下には、記念メダル販売機が写りこんでいる(どうでもよい)。