2011年01月22日
仕事に忙殺されている間に、いつの間にか2010年が終わっていて、いつの間にかブログの更新も2ヶ月以上ぶりになっていた。全くタイムリーな話題ではないけれど、ここに11月・12月の出来事を記しておく。
●11月1週目
研修で松山に行っていた。往路は普通に(?) JRで5時間かけて行ったのだが、復路は会社からの交通費支給を辞退して、変なルートを通ってみた。
まずは、伊予鉄道を乗りつぶす。いや、これは復路とは言わないか。伊予鉄は、(多くの観光客がそうだと思うけど)JR松山駅~伊予鉄松山市駅~道後温泉の経路しか乗ったことがなかった。市内電車に専用軌道部分があるとか、郊外電車が結構伸びてるとか、実際乗ってみないと分からないこともあるもんだ。半日かけて、全線一気に乗りつぶした。
伊予鉄で有名なのは、全国でも珍しいダイヤモンドクロス。線路と線路が平面で交差していて、電車の通過待ちをする電車を見ることができる。電車が来る瞬間を狙って撮ってみた。電車だらけだなぁ。
横河原駅(上写真)、郡中港駅と終着駅をめぐり、最後は高浜駅。そこからすぐのところにある松山観光港から、フェリーに乗って本州へと渡る。
時間がギリギリだったので、慌しく切符を買って、出発間際のフェリーに飛び乗った。目指すは、呉。
航海の途中で、狭小かつ高さ制限のある箇所を通過した。こんなところをフェリーが通るなんて! と私一人がデッキで興奮気味だった。いかにも瀬戸内海的な感じが素敵。
やがて軍艦の姿が見えてくると、呉に到着した。
呉に来たのでと、とりあえず大和ミュージアムを見学。隣にある、てつのくじら館も見たかったけど、すでに閉館時間になっていた。暮れなずむ呉(シャレではない)を後にして、広島から新幹線で帰路についた。
去り際に見かけた九州新幹線。たまたま試運転車が止まってただけで、もちろんこれに乗って帰ったわけではない。
●11月2週目
神戸大の学園祭に行くなど。
こんなに山の上に大学があったら、通学が嫌になりそうだ。自転車通学はほぼ不可能なためバイク通学が主流のようで、おびただしい量のバイクが駐輪してあったのが印象的。
●11月3週目
大学の友人の結婚式に参加するため、神奈川の逗子に行っていた。
江ノ島を見渡せる、オーシャンビューの素敵な式場。本当は最後まで居たかったんだけど、その後の予定があったため途中で抜けさせてもらう。
逗子からあわただしく東京の方まで移動し、開演時間ギリギリで武道館にすべりこんだ。
結局この日は、結婚式に出て、ライブ観戦したのちに、夜行バスで帰宅、そのまま会社に行くというイベントコンボを成し遂げ、かなりグロッキーな状態で一週間を過ごすこととなった。もう仕事のある日には夜行バスには乗るまいと、心に決めたのであった(そりゃそうだ)。
●12月
仕事が忙しすぎて、帰って寝る以外はほとんど会社に居るというダメ生活だった。休日や年末まで出勤していたため、予定していたタイムカンの掘り起こしも出来ずに、また先延ばしになってしまった。これだけは、早めに決着しないといけないなぁ……。それにしても、激務は勘弁願いたい。
そんなわけで、2011年に続く。
2011年01月23日
年の初めに、徳島にある日本一低い山「弁天山」に上りはじめて、早7年目。今年も年が明けてすぐに弁天山へ行ってきた。そんなわけで早速ご覧ください、これが今年の弁天山だ!
……と、勢いよく「今年の」と言ってみたものの、相手は山なのでそうそう変化するものではない。富士山型の電飾は相変わらずだし、ライトアップも特に変化しているようには見えない。違いが分かるように、過去の弁天山の写真を並べてみる。
2007年の写真がないとか(たぶん行ってない)、昔のは同じアングルの写真がない(しかも昼)とかいろいろツッコミどころがあるけれど、今も昔も変わらぬ弁天山であった。
参考までに、10年前の弁天山の写真も特別に公開しよう。
10年前も変わらぬ弁天山であった。
そんな昔話はさておき、今年の弁天山トピックス。山頂に設置されている記帳所の中に大きな変化があった。まず、去年2010年の記帳所は以下の様子であった。
中には、おみくじや記帳用の和綴じノート、山の資料などが収められている。毎年ここでおみくじを引くのが恒例となっていたのだが、今年の記帳所は少し様子が違っていた。
唐突に、福山雅治がいた。
あまりに唐突すぎて一瞬意味が分からなかったが、記帳用ノートのコピーがあることから、おそらく福山氏が弁天山を訪問したであろうことは想像できる。実際に、ツアーで徳島に来た際に立ち寄ったのが発端でこうなったらしい。福山ファンにとっては、この弁天山はいわゆる聖地と化したのだろうか。ところで、おみくじはどこへ行った?
記帳ノートに有名人というパターンは、私は過去に青森の三厩駅で見たことがある。
三厩駅には、NHK「鉄道乗りつくしの旅」の途中で、旅人の関口知宏さんが記したノートが飾られてある。記帳ノートのコピーと本人の写真が飾られている点で、弁天山のそれとよく似ている。やはり、おらが町に有名人が来たとなると、浮かれて記帳ノートを掲示したくなるものなんだろうか。
閑話休題。ついに有名人が訪問するまでになった弁天山、今後ともこの山から目が放せない。それでは、また1年後の正月に。
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関連:私が作った、一向にアクセス数が伸びない弁天山動画
『そうだ 弁天山、行こう。』