街を歩いていると、いろんなDIY物件とすれ違う。DIY物件とは、いわゆる日曜大工の産物であり、つまりは個人がつくった工作物である。
それが屋外に置かれている場合は、例えそれをつくった本人が意識していなくても、自分の作品を外に向けて公開していることになる。インターネットで公開された創作物のように、全世界の人々に観てもらうというわけにはいかないが、少なくともその家の前を通った人たちは、そのDIYの成果を観ることができる。
そう考えると、実は街中のいたるところにDIY物件が展示されているのだ。
次の写真は、私の実家の犬小屋の前にあったDIY物件である。
犬の様子を見るネットワークカメラを屋外に設置するため、雨風をしのぐ目的で木箱が設置されていた。何かの箱を流用したのかもしれないけれど、これぞまさしくDIY物件である。これのおかげで犬をネット経由で見ることができるため、私もたまにスマホから実家の犬の様子を眺めたりしている。
しかしながら、この木箱はあまりに実用的で、形も整いすぎている。DIY物件としては申し分ないけれど、作品として鑑賞するには今ひとつなのである。私は、もっと味わい深いDIYを欲しているのだ。
そう、例えばこういうの。
●「味わいDIY」作品 No.01
このDIY物件に意味を求める必要は全くない。パッと見た瞬間の、何とも言えない漠然とした不安感を味わえただけで私は満足だった。実に味わい深いDIYである。
そう、これが「味わいDIY」なのである。
「味わいDIY」とは、街に展示されている味わい深いDIY作品(作者は全く意図していないと思うが、ここでは作品と呼ぶ)のことである。
先に述べたように、個々の作品は外に向けて公開されている。しかし制作者本人は、それを公開しているという意識すらない(と思われる)のが「味わいDIY」の特徴である。あくまでそれはDIYであり、観察者(私)がそれを作品と見立てたというだけの話であって、「味わいDIY」がDIYの範疇を超えることはないのだ。
●「味わいDIY」作品 No.02
これが何を意図したものなのかは、同じく全く考える必要はない。ただそこに存在する、この味わい深いDIY作品を観察するのみである。羽。ミスターサタン。バネ。ピカチュウ。
●「味わいDIY」作品 No.03
●「味わいDIY」作品 No.04
●「味わいDIY」作品 No.05
「味わいDIY」の特徴のひとつは、適当さである。この3つの作品に共通するのは、まさに適当さ。几帳面にやっていたなら、この味わい深さは生まれなかったに違いない。
●「味わいDIY」作品 No.06
●「味わいDIY」作品 No.07
●「味わいDIY」作品 No.08
かと思えばこの3つの作品のように、制作者の几帳面さ伝わってくるものもある。一見適当のようにも見えるが、きめ細やかさが垣間見られる部分があり、全体として上手くまとまっているのだ。適当な「味わいDIY」、几帳面な「味わいDIY」、どちらも味わい深いものである。
●「味わいDIY」作品 No.09
●「味わいDIY」作品 No.10
●「味わいDIY」作品 No.11
その他、「味わいDIY」の味わい深さには、文字(フォント)が寄与するところも大きい。
●「味わいDIY」作品 No.12
●「味わいDIY」作品 No.13
●「味わいDIY」作品 No.14
あとなぜか、みんな椅子を作りたがる傾向がある。特に酒のケースに木の棒を乗せて椅子をつくるのは、「味わいDIY」界における一種のムーブメントとも言える。
●「味わいDIY」作品 No.15
●「味わいDIY」作品 No.16
●「味わいDIY」作品 No.17
つい見落としがちな、こういった素朴な作品にもきちんと目を向けていきたい。
●「味わいDIY」作品 No.18
最後に、よりDIY色の強い「味わいDIY」をひとつ。エアコンの室外機に何かを施そうとしており、これぞまさにDIY。この制作者が一体何をしようとしているのかは特に考える必要はない。私はただ、目の前にある味わい深い室外機を観察するだけである。
これまでいろんな「味わいDIY」を見てきたが、改めて「街はDIY作品展の会場」だということを強く感じる。ふとした場所に、思いがけない「味わいDIY」があったりするのだ。それを発見したときの喜びと感動は、発見した人にしか味わうことができない。
「味わいDIY」を味わうために、私は今日も広大な会場内を探索し続けるのであった。